パパと呼ばないで
半世紀前のテレビドラマで、50年前の日本をあれこれ思い出します
1972年(昭和47年)10月から翌年9月まで40回に渡って放送されたTVドラマ「パパと呼ばないで」。
もう知らない人が多いでしょうね。
個人的にはついこの間。映画「ゴッドファーザー」が公開された年なんです…。

今回は50年前のドラマで、当時の日本を思い出す爺さんのブログです。
チー坊を覚えていませんか
石立鉄男さんと杉田かおるさん
親代わりに自分を育ててくれた姉が急死して、姉の娘(杉田かおるさん)を育てることになるのが安武右京(石立鉄男さん)。
放送当時30歳の石立さんと、

8歳の杉田さん(6歳の橋本千春役で、愛称はチー坊)の二人が、周囲の下町の人たちと織り成すドラマです。

チー坊。記憶ありません?
主題歌「にじ」
”花は何故咲くの いつか散るのに”(出典:パパと呼ばないで主題歌「にじ」 作詞:たかたかし、唄:貝がら)
という、孫に聞かれたら答えに窮する歌詞で主題歌は始まります。
堀切駅前に登場する50年前の日本
駅前の菓子店で
安武右京(石立鉄男さん)は、出勤前に東武鉄道伊勢崎線 堀切駅前の菓子店であんぱんとコーヒー牛乳を買います。朝食です。

Fantaの看板が懐かしい。
50年前の日本➀
ステテコ姿と たばこの看板
店の主人はステテコ姿。
もちろん外出時は違いますが、近所でステテコ姿のおじさんたちをよく見かけました。ステテコ姿は夏の風物詩でした。
それと、見なくなった ”たばこ” の赤い看板が店の右側に。
50年前の日本②
牛乳瓶の蓋
買ったのは、最近では見ない紙の蓋付きの瓶入りコーヒー牛乳です。
今では紙パック入りの牛乳がほとんどですが宅配もあります。宅配の瓶入り牛乳の飲み口はフィルムで保護され、その下にプラスチック製の蓋があります。

ドラマに登場する昔の牛乳瓶の飲み口は薄いビニールで覆われ、

その下に厚手の紙製の丸い蓋が付いていました。

その蓋をこんな用具で開けて飲みます。

ドラマでは主人公の安武右京(石立鉄男さん)は手で開けていましたが、器用に口と舌で開ける人を銭湯で何度か見かけたことがあります。
50年前の日本③
ゴミのポイ捨て(?)
牛乳瓶の次に登場する半世紀前の日本の姿は…。
堤防であんぱんとコーヒー牛乳の朝飯
安武右京(石立鉄男さん)は駅近くの堤防に座ってあんぱんとコーヒー牛乳の朝飯。
その時、先ほど出てきた牛乳瓶の飲み口の薄いビニールをポイ捨てします。次のシーンの黄色で囲った部分がポイ捨てしたビニールです。

1964年の東京オリンピックのお陰で日本人のマナーが向上
”ゴミのポイ捨て(?)” と「?」にしました。
50年前のHansは分別がつく年齢でしたが、周囲にゴミをポイ捨てする人をほとんど見かけませんでした。
1964年の東京オリンピック開催前のマナー向上キャンペーンが功を奏したようです。
戦後の復興期にあった日本は、旅の恥はかき捨て状態。
外国、特に欧米の人々にはとても見せられないようなマナーだったようで、マナー向上キャンペーンを実施して、運転マナー、ゴミのポイ捨て禁止、果ては立ち小便禁止に至るまでマナーの向上を目指したようです。
ドラマのポイ捨ては、安武右京(石立鉄男さん)という人物を表現するための演技、演出かな。そう思いたいです。
50年前の日本④ そして現在の日本でも
タバコのポイ捨て
以前はゴミをポイ捨てする観光客が目立ち、その大部分が同じ国からの観光客でしたが、昨今は日本への渡航自粛のお陰で見かけることが少なくなりました。
現在の日本で、タバコ以外のポイ捨てを見かけることはまずありません。
タバコは、半世紀前の日本でも50年経った今でもポイ捨ての代表です🚬

今も昔もバス停やバス停近くに多いタバコのポイ捨て😡

歩きタバコの全面禁止をお願いします。

50年前の日本⑤
堀切駅
ドラマに登場する半世紀前の東武鉄道伊勢崎線 堀切駅。
東京都足立区千住曙町に位置する荒川沿いの駅です。

流石に50年前の駅舎です。左側に写っている電話ボックスも懐かしい。
と思ったら、Googleマップを見て驚きました。
時間が止まっていました。電話ボックスは変化していますが。
時系列に並べてみます。
1972年当時、ドラマに登場する堀切駅

2014年4月の堀切駅
2020年3月の堀切駅
2022年8月の堀切駅
堀切菖蒲園
”堀切” で思い出すのは堀切菖蒲園。
行ったこともありますが堀切駅とは区も違いますし、この駅からではありません。京成線でした。
佃島へ
井上精米店と下町の人々
チー坊(杉田かおるさん)を引き取った安武右京(石立鉄男さん)は佃島の井上精米店に下宿することになります。
そして、井上精米店を始めとした下町の人たちとの人情ドラマがスタートします。

50年前の日本⑥
お米屋さん
懐かしい路地の風景に「※」の看板。
昔はお米屋さんがお米を配達してくれましたし、店舗も多かったですね。
お米屋さんでしか販売していない飲料 ”プラッシー” があり、瓶入りの黄色い飲み物を飲んでみたいとの願望も。

井上精太郎(大坂志郎さん、米屋の主人)

大岡越前
「大岡越前」の同心役が記憶に鮮明です。
井上時枝(三崎千恵子さん、米屋のおかみさん)

男はつらいよ
何と言っても「男はつらいよ」の寅さんのおばちゃん役です。
下町の人々
ほかにも、
金造(花沢徳衛さん、魚屋 魚敏の親父)

治子(富士真奈美さん、金造の娘)

等々、当時のホームドラマには欠かせない方々が脇を固めています。
50年前の日本を続けます
50年前の日本⑦
都電 23系統
二人が井上精米店へ向かう途中、都電が走っています。


別のシーンでは電車の前面右側に「23」という数字が確認できます。

50年前の日本⑧
都電の廃止
1967年(昭和42年)12月の第一次撤去から段階的に進められてきた都電の廃止作業。
この23系統は1972年(昭和47年)11月に撤去されたようです。
ドラマの放送開始が1972年10月ですから、その一か月後に廃止。
別のシーンでは道路は自動車で渋滞。
都電はモータリゼーションの邪魔物扱いでした。

都電荒川線 飛鳥山で花見
ほとんどの都電が廃止されたころの上京なので、乗ったことがあるのは荒川線だけです。飛鳥山での花見が目的でした。

面影橋 及川恒平さん
荒川線で面影橋という停留所名を見たときは及川恒平さんの ”面影橋から” が頭を過りました。
60年前の金沢を当時の市電路線図で
金沢の市電は60年前に廃止
都電から転じて金沢ネタを。
実は1919年(大正8年)から1967年(昭和42年)の約50年間、今から60年前に廃止されるまで金沢にも市電が走っていました。
中原中也
幼い中原中也が金沢を離れて5年後に開通した金沢市の市電。
金沢を訪れたことがある方は「えっ、あの狭い金沢の道路に市電が」と驚かれると思います。
この感想のとおりです。
幸いにも戦災や大きな自然災害の無かった金沢。藩政時代の狭い道がほとんどですからモータリゼーションの波をもろに被り市街地は大渋滞。
そこへ電車の暴走事故が発生し、追い打ちをかける形となり市電の廃止に至っています
香林坊交差点を走る市電
金沢市の中心部、香林坊交差点の魚半ビル(跡地は現在の香林坊アトリオ、大和デパート香林坊店)近くを走る市電。
昭和20年代中ごろから昭和30年代後半の写真です。



香林坊交差点の今昔
昔の香林坊交差点の写真と現在(6年前の写真ですが)の香林坊交差点の似たアングルの写真がありました。


映画「ゼロの焦点」にも登場
1961年(昭和36年)の映画「ゼロの焦点」にも市電が登場しています。
市電廃止6年前の映画です。
60年前の路線図から金沢の変遷を
当時の金沢の市電路線図です。金沢くらしの博物館の展示物を基に丸数字を付しました。
前出の市電が走る香林坊交差点は路線図の⑦です。

金沢駅前の金沢都ホテル(路線図①)⇒現在は更地
金沢駅前にも市電は走っていました。
駅の目の前には金沢都ホテル。
もう60年以上前の1963年、東京オリンピックの前年に金沢駅前に開業した金沢では初めての都市型ホテルだそうです。
老朽化により2017年3月末閉館。

種々の計画があるようですが、現在は駅前の一等地に だだっ広い更地です。

下記ブログで、金沢都ホテルの閉館から解体、更地を時系列に並べました。
金沢市の中心部に目を移します。
金沢大学附属中学校(路線図②)⇒金沢21世紀美術館
観光スポット 金沢21世紀美術館の場所には金沢大学附属中と記されています。

1995年に附属中学校などが移転した跡地には、金沢21世紀美術館が2004年にオープン。
人気観光スポットとなりました。

長くなってきましたので、Part 2へ続けます。
金沢ネタを続けた後ドラマの話題に戻ります。



































































































































