先月中旬から体調を崩し、自力で何とか平熱まで戻しましたがその後も体調不良。
受診したところ肺炎でした。
お医者さんは高熱を自力で治すのは危険。
今度からは早く受診するようにと叱られました。
現在、慣らし運転中です。
以上の理由でブログも拝見することができませんでした。
若い頃は寝て、自力で治していた身体も齢とともに…。
皆さんも体調不良時は早めの受診を。
先月中旬から体調を崩し、自力で何とか平熱まで戻しましたがその後も体調不良。
受診したところ肺炎でした。
お医者さんは高熱を自力で治すのは危険。
今度からは早く受診するようにと叱られました。
現在、慣らし運転中です。
以上の理由でブログも拝見することができませんでした。
若い頃は寝て、自力で治していた身体も齢とともに…。
皆さんも体調不良時は早めの受診を。
2019年と2021年の7月に「金沢のお盆 やや不都合な真実」と題してブログにしましたが、過去ログに少し加筆して今回は「シン・金沢のお盆 やや不都合な真実」です。
金沢市は、旧市内を中心にほとんどが7月の新盆です。
金沢に隣接している白山市などの市町は旧盆、8月のお盆ですから、全国的に新盆の地域は珍しいようですね。
話が飛びます。
過去のブログでも取り上げましたが、お盆の時期になると必ず思い出す柴又在住の先輩がいます。
この先輩との話で前提条件となるのは、東京都区内も新盆だということです。
と書くと「えっ?」となる人が多いかもしれません。
あの8月の盆の帰省ラッシュのニュースは?、と。
東京都区内の新盆は、昔から東京に住んでいる人(俗に、三代続いて江戸生まれの江戸っ子)や東京にお墓のある人の話です。
東京で暮らす地方出身の人の故郷はほとんどが旧盆ですので、8月の旧盆がお墓参りとなります。
そのため8月の旧盆の時期はまさに民族の大移動、帰省ラッシュで、毎年必ずニュースで話題になっています。この大混雑は、地方出身の人が故郷の旧盆に合わせて東京から帰省するために起きる現象です。
いかに大勢の人が全国から東京に集中しているのかが分かりますね。

話を戻します。
柴又在住の先輩。私の出身地、金沢市内が7月の新盆だと知った途端、「おっ、7月の盆か!? 田舎にしては珍しいな」です。
繰り返しますが、口は悪いけれど、本人に悪気はありません。江戸っ子です。

その日、飲みに行った呑兵衛二人は早速お盆の話で盛り上がりました。
「盆が旧盆(8月)なら、正月も旧正月(2月)にすりゃあ良いのによ。なんで正月は1月なんだ!?」「『盆と正月が一緒に来たようだ』って言うけどよ、半年毎だから丁度良い塩梅なんだよ。間隔が違っちゃおかしいよな」等々。
口の悪い先輩は言いたい放題でした。
妙に説得力があり納得したものです。
浅草、そして江戸っ子にはいろんな思い出があります。
話が再度飛びますが江戸っ子の話の続きを少し。
知り合いの料亭の女将さんが、浅草の雷門前で「赤信号だよ。田舎にゃ信号が無いのかい」と、赤信号で横断している観光客を一喝したことがありました。

横でドキドキしましたが、この女将の真っ直ぐな性格は好きでした。
江戸っ子です。
話を戻します。
会社の同僚は8月の旧盆の人が殆どでしたので、7月の新盆の私は盆休みが取り易く、帰省列車も混んでいないので大助かりでした。また、皆が休んでいる8月の旧盆に出勤しても、世の中自体が休んでいる状態で、とても楽な通勤で仕事も暇でした。
車窓からは富士山が見えました。遠~い、遠~い日の記憶です。

金沢の隣の市に行けば旧盆。ということは、金沢市内で新盆 7月の墓参を済ませた金沢市民は、親戚が金沢市以外の場合は旧盆 8月のお墓参りが待っています。

連れと私は金沢市内出身なので新盆です。ただ、私や連れの母方の出身が金沢市ではないので8月の旧盆もお墓参りです。
お墓参りは当然のことですので、何が やや不都合な真実なのか…。
金沢(故郷)以外に住んでいると、7月と8月の二回帰省する必要があります。
二カ月連続の盆休みが取り辛く、旧盆のお墓参りはほとんど両親に任せていました。
金沢市の南東に位置する野田山は、加賀藩の藩祖 前田利家が墓を作ったのが切っ掛けで、前田家の墓所や重臣の加賀八家の墓所を始めとした武家の墓、そして町人など、身分や宗派、宗教(仏教、神道、キリスト教等々)に関わらない墓地となっています。
キリスト教のお墓。前田利家が庇護していたキリシタン大名高山右近の影響ですかね。
金沢市内に伴天連屋敷跡なども存在しています。



金沢出身の室生犀星や鈴木大拙(鈴木家)の墓所もある丘陵地帯です。
写真は南無阿弥陀仏の板キリコですが、犀星が過ごした雨宝院は真言宗なのでお題目が違うような…。

近くには城持大名並みの知行五万石、加賀藩筆頭家老本多家の菩提寺 大乗寺(映画「ファンシイダンス」のロケ地)があります。

hanspotter.hatenablog.com
大乗寺の名を冠した近くの大乗寺丘陵公園は市民の憩いの場です。
普段はとても静かな場所です。


ところが・・・。
新盆の時期は一変して大混雑。
野田山墓地は金沢独特のキリコ(切篭灯籠)と呼ばれる一種の灯籠が、お墓参りにきた人によって墓前につるされます。一般的な箱キリコで説明すると、灯籠流しの灯籠に屋根を付けたようなものを想像してください。
他地区の方が見ると「?」と思う光景ですが、大学入学で東京へ行くまではこれが当たり前だと思っていました。
昨今は、一般的だった箱キリコだけでなく、簡略化した板キリコも増えています。

簡略化した板キリコが増えているのは、箱キリコに比べてかさ張らず持ち運びが便利なことも理由の一つでしょう。箱キリコと比較すれば製造も簡単でしょうし、値段も…。
また、地元の間伐材を使用しているものもあるようです。
問題となっていたのが、キリコの後片付けです。
お盆の時期、金沢では例年30万個ほどのキリコが出回るとのことです。
30万のキリコの後片付けを想像してください。かさ張らない板キリコが増えているのも納得です。墓前のお花の後片付けもありますし…。
北陸は真宗王国です。全国的にも仏教の信者数(浄土真宗では門徒数)が一番多いのは浄土真宗だそうです。
ただし、信者数(門徒数)の算出方法は宗派によって違い、かつ、各団体からの申告による信者数(門徒数)だとのことですので。
金沢と言えば城下町のイメージが一般的ですが、元々は一向宗(浄土真宗)が盛んな「百姓の持ちたる国」。
現在の金沢城は、一向一揆の拠点であった尾山御坊(寺院兼要塞)の跡地に建てられたものです。金沢はその尾山御坊を中心とした寺内町でした。
真宗王国の金沢では、市販のキリコは浄土真宗のお題目 “南無阿弥陀仏” のものがほとんどでした。

浄土真宗以外の宗派の方は大変です。
もっとも、真宗王国ですから、大部分の方は気にもしなかったでしょうが。
最近では“南無妙法蓮華経” や “南無釈迦牟尼仏” など浄土真宗以外も登場しています。


わが家は曹洞宗なので “南無釈迦牟尼仏” ですが、墓は金沢市内のお寺にあるので、キリコはお寺さんで用意していただけますし、連れの実家は浄土真宗ですから不便はありませんでしたが。
東京に住んでいた頃、“谷根千”(谷中、根津、千駄木)を散歩すると、墓地には卒塔婆です。当たり前ですが、キリコは見たことがありません。


金沢で卒塔婆を殆ど見ないのは、やはり真宗王国だからが理由のようです。
浄土真宗では基本的には卒塔婆がないとのこと。
武家のお寺が集中している寺町のお寺や、金沢以外のお寺で卒塔婆を見かけることがあります。
浄土真宗以外のお寺ですね。


それと、キリコには もう一つの機能があります。
キリコにはお参りした人の名前を書きます。
「〇〇さんがもう来ている。△△さんは今年も来ていない」とのチェック機能です💦
野田山墓地を歩くと、無縁墳墓が増加しているのを感じます。
少なくとも我が子にはお盆の風習を伝えていくつもりです。
今日は以上です。
みなさんは、小惑星探査機「はやぶさ2」を憶えていますか。
2018年6月に小惑星「リュウグウ」に着陸し、サンプルを採取して地球に持ち帰ったあの「はやぶさ2」です。
地球に帰還したと勝手に思い込んでいたんですが、現在も宇宙を飛び続け、昨夜、直径500mの小惑星「トリフネ」に最接近しました。
ニュースや今日の朝刊でご覧になった方も多いのではないでしょうか。
プラネタリーディフェンス(地球防衛)の一環としてのミッションだそうです。
プラネタリーディフェンス(地球防衛)。
先日NHKのニュースでも以下の計画が取り上げられていました。
小惑星「トリフネ」は地球に接近する小惑星であり、将来万が一惑星の地球衝突の可能性がある場合に、「はやぶさ2」のような探査機などを惑星に衝突させて軌道を変えて地球への衝突を避けるという計画の一部だそうです。
小惑星の地球衝突。絵空事でもないようです。
先だって、NHKをボーっと眺めていたら小惑星アポフィスの話題が。
2029年4月に地球の静止軌道(35,786 km) とほぼ同じ距離を通過し、その後も………。
番組ではロシアに隕石が落ちた動画も使われていたので、1998年公開された二本の映画を思い浮かべました。
惑星や隕石の地球衝突。その時、人類は…。
そんな危機を描いた映画が、ディープ・インパクトとアルマゲドン。
二本とも1998年に公開された、”巨大な隕石が地球に衝突” のSF映画です。
同じ年に、それも僅か二ヶ月違いで公開された二本の映画。
同じようなテーマの映画が立て続けに公開!?
疑問は下のブログで解決しましたが、この二本の映画について少し…。
上のブログで、
「ディープ・インパクト」は連れと、「アルマゲドン」は連れが興味を示さず一人で観ました。私見ですが、「ディープ・インパクト」は女性に、「アルマゲドン」は男性に受ける作りじゃないかと…
と書きましたが、二本とも観た方なら同意して頂けるかと。
二本の映画のポスターもそんな雰囲気を漂わせています。

ディープ・インパクト [画像ギャラリー 3/4] - 映画ナタリー

以下、冒頭に登場した小惑星アポフィスの直径が310mから340mであることを頭の片隅に置いてお読みください。
ディープ・インパクトでは彗星をアマチュアが発見し天文台へ連絡。先ほどのブログで取り上げました。
天文台の職員が報告途中に事故死しますが、密かに準備を進めていた人類は、衝突の1年前にはアメリカ合衆国大統領が事実を発表します。

直径11km、ニューヨークほどの大きさの巨大な彗星。

恐竜絶滅の原因とされる巨大隕石が直径10kmほどですから、匹敵する大きさです。
アルマゲドンでは、小惑星の前触れとなる流星群が、スペースシャトルやニューヨークに降り注ぎます。



NASAの調査で巨大な小惑星の地球衝突が判明するのが、僅か18日前。

それもテキサス州ほどの大きさの惑星が😲

ディープ・インパクトでは衝突の1年前にニューヨークほどの大きさの彗星が衝突することを発表していまが、アルマゲドンでは衝突の僅か18日前に判明。それもテキサス州ほどの小惑星が…。
これだけではありません。
アルマゲドンって設定が滅茶苦茶。
映画は1998年公開。ニューヨークにはあのビルが建っています。

流星が…。911を彷彿とさせます。

かなり有名ですが、ニューヨークに流星が降り注ぐシーンに、映画公開当時36歳の松田聖子さんが登場します。タクシーに乗っている観光客役です。



両方に共通する対策は、核爆弾で破壊、軌道を変えるという方法です。
現在の科学力ではそれしかないかな、と思い出したのが二本の映画から遡ること36年前の東宝映画「妖星ゴラス」。
なんと南極にロケット装置を設置して、地球自体を動かして衝突を避けるという荒唐無稽な発想です。東宝ですから怪獣も登場します。
www.youtube.com
まぁ、それは置いといて話を戻します。
宇宙船に積んだ核爆弾で彗星を破壊する計画で、宇宙船の船長が今年2月に亡くなったロバート・デュヴァル。
他の若いクルーからは過去の遺物と揶揄される役でした。
それが失敗したら核ミサイルでの迎撃。
そして最後が「ノアの方舟」です。
100万人収容できる地下施設(シェルター)を建設済みで、選ばれた人間のみ生き残るという最終計画です。
最初の宇宙船での破壊は事実上の失敗。破壊された彗星が大小二つに分かれて地球に向かってきます。
小さな方が地球へと向かってきます。
地下施設に入るより恋人と地上に残ることを選んだ少年。
地下シェルターに入る権利を友人の母娘に譲り、不仲だった父親と海岸でその時を待つ決心をした女性………。
ここにもツインタワーが登場します。




最初の破壊に失敗した宇宙船の乗組員たちは究極の選択をします。
地球の家族を守るため、宇宙船に残った核弾頭とともに二つに分かれた彗星の大きな方に突入することを。
宇宙船クルーの家族との別れ、そして。







こちらも小惑星を核爆弾で真っ二つにして軌道を変えるという計画ですが、ここから滅茶苦茶な展開になっていきます。
まず、小惑星の内部深くに核爆弾を仕掛けるために、海底油田の掘削チームを小惑星に送り込むことを計画。
宇宙に関してはど素人をです。
一応、過酷な訓練をしますが衝突まで18日。私なら宇宙飛行士に掘削の訓練をしますが(笑)


が、とにかく宇宙船に乗って出発します。

上のシーンの右から5番目の後方、掘削チームのこの大きな役者さんをご存知の方も多いのではないでしょうか。

グリーンマイルの囚人役 マイケル・クラーク・ダンカンです。54歳で亡くなりました。

話を戻します。
燃料補給に立ち寄ったロシアの衛星が老朽化していて爆発したり、酸素がないはずの宇宙の小惑星上で火が燃え続けたり等々、いろんな?がありますが、最後はある人が小惑星に残って核爆弾を手動で爆発させます。遠隔起爆装置が故障したためです。
それも娘の恋人に代わって。



「ダイハード」のブルース・ウィリスも今回は…。
公開当時21歳のリヴ・タイラーがブルース・ウィリスの娘役です。

ロード・オブ・ザ・リングのアルウェン役も綺麗。

とてもブルース・ウィリスと父娘には見えませんが、実の父 スティーヴン・タイラー(ロックバンド、エアロスミスのボーカル)とは更に…。
次のサイトには、リヴ・タイラーの写真、そして父親のスティーヴン・タイラーとのツーショットが載っていますよ。
お父さんは主題歌で、娘はヒロインで、父娘共演です。
主題歌、ヒットしましたね。
劇中、NASAの指令室に ”CAPCOM” の文字が(黄色で囲った部分)。

乏しい私の知識では、ゲーム会社しか思いつきませんでしたが、

capsule communicator(宇宙船通信担当官)の略でした。
映画では全人類が力を合わせて衝突を回避しようとしていますが、昨今の世界情勢を見ると………。
しかし、一方ではこういった努力も行われています。
まとまりがありませんが以上です。
半年ほど前に観直した映画ですので、記憶が間違っているかもしれませんので。
映画「国宝」。

昨年(2025年)6月の公開から一年が経過し、Amazonのプライム・ビデオ対象となりました。
大ヒットした映画ですから内容をご存知の方は多いと思います。
映画館で観てから一年近く経過していますが、今回観直して感じたことを認めます。

タイトルバックの刺青。
主人公 喜久雄(吉沢亮さん)の背中、ミミズクの入れ墨をバックに ”国宝” の二文字。
父親は不動明王の彫り物でしたが、息子は倶利伽羅紋紋ならぬ木菟紋紋を背負っています。
話が少し逸れます。
倶利伽羅は不動明王の化身です。地元石川県では富山県境の倶利伽羅峠に位置する倶利伽羅不動寺の本尊が倶利伽羅不動明王です.。
話を戻します。
俊介との稽古の合間に入れ墨について聞かれた喜久雄は ”(ミミズクは)人の恩を忘れへんねん” と。
喜久雄のこの言葉は意味を持ちます。
タイトルバックの刺青で話が逸れましたが、今回のブログタイトルにある ”27クラブ” へと舵を切ります。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、27歳で亡くなった有名な人々を ”27クラブ” というネーミングで括っている、一種の都市伝説です。ミュージシャンが多いかな。
昨年、大谷翔平選手が創設者となった50-50クラブや、大谷選手の大活躍で覚えた40-40クラブと同じ使い方ですね。
”27クラブ” には、
ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン…。
音楽好きの方なら知っている名前だと思います。
なぜ、映画「国宝」と ”27クラブ” が関係?
映画の次のシーンの台詞でピーンと来る方がいるのでは。




前出の ”27クラブ” のルーツともされる伝説のブルースギタリスト、ロバート・ジョンソン。27歳で亡くなりました。
喜久雄の台詞からロバート・ジョンソンのクロスロードブルースの話を連想し、”27クラブ” へと話が発展してしまいました。
ロバート・ジョンソンが急にギターが上手くなったのは、クロスロード(十字路)で悪魔と契約したから、という都市伝説です。
この曲はいろんなミュージシャンにカバーされています。
わが家では、エリック・クラプトンやクリームのCD、そしてブルースを集めたベスト盤でロバート・ジョンソンの名前が見つかりました。
ピーク時に比較すると、CD、レコードとも減ったもんだ、と独り言。


クロスロードを聴いたのはロバート・ジョンソンよりクリームが先だったと。
日本でも山崎まさよしさん。
ライ・クーダーのアルバム「クロスロード」は、ロバート・ジョンソンの伝説をモチーフにした映画のサントラです。
ブログのテーマとは関係ないですが、映画「クロスロード」のクライマックス、ギター対決です。
映画に戻ります。
先ほどの台詞のシーンの続きです。



最後の台詞が効いています。映画をご覧になった方ならお分かりでしょう。
このときの喜久雄(吉沢亮さん)の眼! 是非映画で。



京都の光盛大明神でのロケだそうですが、”悪魔” との取引。了解は得ているんでしょうが心配になりました。
尚、神社の前は三差路、十字路(クロスロード)ではありません。


悪魔との取引⇒ロバート・ジョンソン⇒ 27クラブへと展開しましたが、喜久雄は27歳で亡くなりません。
人間国宝となり、取材後カメラマンの撮影に移りますが、そのカメラマンが。


綾乃の言葉が続きます。


綾乃の言葉が…。



そしてエンディングへと。

以上、映画「国宝」の個人的な感想でした。
1972年(昭和47年)10月から翌年9月まで40回に渡って放送されたTVドラマ「パパと呼ばないで」で、50年前をいろいろ思い出している老人のブログです(笑)
前回は金沢ネタだけで終わりました。
今回はドラマから思い出す50年前の日本の続きに戻ります。
安武右京(石立鉄男さん)は上司に髪型を注意されますが上司はタバコを咥えたまま。


席に戻った安武右京(石立鉄男さん)はすぐにタバコをスパスパ。

事務室内の自席に灰皿があり、吸殻が満杯になったら女子社員が捨てます。
喫煙に加えて女子社員のお茶出しや吸殻捨てが当たり前でした。
現在では考えられませんね。
会社のエレベーターを待っている僅かな時間にもスパスパ。

エレベーター前にも縦型の大きな灰皿が設置されていましたね。
今では喫煙所に追いやられているような灰皿が。

幼児がいようがいまいが居間でスパスパ。

駅のホームにも灰皿が設置されていました。
ラッシュアワーの時間帯は禁煙だったと記憶しています。
中長距離の列車や観光バスには灰皿がありました。
吸わない人には密室の恐怖。

昔は列車の窓の開閉が可能でした。
窓を全開にして ”あー、煙たい” と言うご婦人を目撃したことがあります。猛者です。
戦後の復興期の日本では、専売公社が販売するタバコは重要な国の収入の一つでした。
国営企業が販売しているタバコですから大っぴらに喫煙できた訳です(笑)
男性の喫煙率が80%ほど、女性の喫煙率も20%に近かった1972年。
世界でも上位の喫煙率でした。
喫煙者と非喫煙者の比率が1972年とはほぼ逆になった最近とは違い、日本全国「スモーキン’ ブギ」状態でした。1974年の曲です。
”目覚めの一プク 食後の一プク 授業をサボって喫茶店で一プク 風呂入って一プク ………” 作詞:新井武士、唄:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
西岡恭三さんの「プカプカ(赤い屋根の女の子に)」は1972年です。
”おれのあん娘はタバコが好きで いつも プカ プカ プカ……” 作詞、唄:西岡恭三
次の歌詞も続きますので少しはほっと。
”体に悪いからやめなって言っても いつも プカ プカ プカ……” 作詞、唄:西岡恭三
「プカプカ(赤い屋根の女の子に)」の歌詞にあるように、体に悪いからという風潮になったのはいつ頃からだったでしょう。
1970年代の後半から嫌煙運動が始まり、1980年に国鉄車両での禁煙化を求める嫌煙権訴訟が起こったとのこと。この判決により禁煙車が増加しました。
意外にも、タバコの箱の「健康のため吸いすぎに注意しましょう」は1972年から表示されていたようです。
三公社五現業(知らない人が多くなっているでしょうね)の民営化(NTT、JT、JR
など)が本格化した1980年代半ばが嫌煙から禁煙への分岐点でしょうね。
そして2000年代に入り法律が整備され、受動喫煙防止が努力義務から義務化へと。

江戸時代には貝原益軒が有名な「養生訓」で煙草の有害性を指摘しています。
明治時代に未成年者喫煙防止法が制定されたとのこと。
昔はこんなタバコ屋さんでおばあさんが店番していましたね。

金沢の繁華街にも沢山の自販機を備えた大きなタバコ屋さんがありましたが閉店。
自販機も深夜販売が停止され、後に成人識別機能が備わった自販機となりました。

金沢には、喫煙ができる禁煙室という喫茶店がありましたが閉店しました。

喫煙、禁煙については、SF映画をネタにブログにしたことがあります。
それぞれ、1979年、1982年の映画ですからここまで禁煙が進むとは想像していないころの映画です。

このシーンでも安武右京(石立鉄男さん)がタバコを吸っています。
が、このシーンは別のこと、50年前の麻雀事情のために取り上げました。
(麻)雀荘代わりとなった家では奥さんが大変。

因みに左の旦那さんは江守徹さんです。
タバコの煙に囲まれて徹夜も辞さない。酒やビールを飲みながら…。
今思えば極めて不健康な遊びでした。

コタツの天板を裏返せば緑色のフェルトを貼った(麻)雀卓の出来上がりです。
家庭でも簡単に遊べました。上の(麻)雀牌もわが家のです。
(麻)と、麻を()書きにしたのは、略して ”ジャンソウ” ”ジャンタク” ”ジャンパイ” と呼んでいたからです。
社会に出た頃は、麻雀、そしてゴルフが必須とされていた時代でした。
戸惑ったのはルールです。
学生時代は ”ありあり” が主流だったのに、会社に入ると年配層を中心に ”完先(完全先付け)” が主流でした。大学に割と近かった最初のアパートは同級生の麻雀部屋になって引っ越しを余儀なくされたほどのHansです。そして "月刊 近代麻雀" を愛読していたHansです。
が、”完先” には手古摺りました。
今の若い人は麻雀をやらないそうですから麻雀の話題はここらで。
ドラマでは、会社、そして幼稚園の先生まで。ミニスカートが多いですね。




1967年のツイッギー来日後、日本はミニスカートブームでした。
テレビで見たツイッギーは ”ガリガリ” との印象です。
ツイッギーが来日した1967年もブログにしたことがあります。
当時30歳の美空ひばりさんのミニスカート姿は衝撃でした。
1973年のオイルショック頃を境にミニスカートは下火になりますが、現在と同じ中東での紛争がオイルショックの原因でした。

魚屋さんの店先に、ランニングシャツ(当時の名称です。今の名前は知りません)をズボンにウエストインした長身の男性がいます。
当時のHansの感覚ではランニングシャツは下着なので、前々回に登場したステテコ姿と同じく、この姿で外出はしませんでした。

同じく魚屋さんの店頭。中央のエプロン姿の女性が買い物籠を持っています。
当時は当たり前の光景で、エコな時代でした。
当時は豆腐屋さんのラッパが聞こえると鍋持参で買い物です。こんな音です。
白山市白峰の山下ミツ商店さんの移動販売車が同じラッパの音で巡回しています。美味しいし、ありがたい。



おでん屋さんでは、
”浴衣のきみは尾花の簪”(出典:「旅の宿」 作詞:岡本おさみ、唄:吉田拓郎)
が流れています。
吉田拓郎さんの「旅の宿」。ドラマ開始3ヵ月前の1972年7月発売です。
あ~、これも半世紀以上前か。
このころは、吉田拓郎さんや井上陽水さんのレコードをよく聴いていましたし、思い出も沢山あります。
「傘がない」も1972年ですね。
ドラマの第一話と二話でこれだけ思い出しました。
当時の音楽については、まだまだありますが…。
自分が年を重ねたのを改めて認識して、このシリーズは終了です。
1972年(昭和47年)10月から翌年9月まで40回に渡って放送されたTVドラマ「パパと呼ばないで」で、50年前の日本をいろいろ思い出している老人のブログです(笑)
前回からの続きです。
年を重ねると昔のことを懐かしく思い出すことが増え、過去の思い出を何度かブログにしていますが、今回のブログの昭和47年(1972年)は過去にも取り上げています。
ブログの続きに戻ります。
都電の廃止の話から、60年前の金沢の市電廃止当時の路線図で当時の金沢市を思い出していますが、高校まで育った生まれ故郷だけに今回は金沢ネタだけで終わりそうです。
地元金沢市の観光案内も兼ねています(笑)
前回の最後は路線図の②、現在の金沢21世紀美術館の場所でしたので、今回は路線図の③からです。
再度路線図を載せます。

石川県立美術館前の植込みに ”金沢女子短期大学・高等学校創設の地の碑” があります。

短大の移転後、1983年に跡地へ石川県美術館から石川県立美術館に改称して移転。

旧石川県美術館の建物(設計:谷口吉郎)は、兼六園小立野口横で石川県立伝統産業工芸館(いしかわ生活工芸ミュージアム)として石川県の伝統工芸品を展示しています。

近くには、金沢美術工芸大学が1972年まで使用していた、旧陸軍省の兵器廠の建物を使用した石川県立歴史博物館(いしかわ赤レンガミュージアム)や、


旧陸軍省の建物を移築して2020年にオープンした国立工芸館もあり、

金沢21世紀美術館からの徒歩範囲に美術館が集中していますので、時間があれば美術館、博物館巡りもどうぞ。

尚、金沢21世紀美術館は、来年2027年5月から翌年3月頃まで大規模改修で長期休館予定です。念のため。
次の場所へ続けますので、もう一度路線図を載せます。

金沢市の中心部、香林坊交差点近くに映画館街との表示(路線図➃)。
その昔、金沢には23の映画館があり、その半分ほどが香林坊に集中していました。
下記の地図には知らない映画館名もありますが。

1986年の映画「恋する女たち」にもシネマストリートとして登場します。

香林坊の再開発により映画館街は消え、地元デパートや「109」の地方初出店だった香林坊109などの商業施設や駐車場に姿を変えました。

跡地の駐車場前には ”シネマストリート” の看板も。

明治時代から太平洋戦争終結までの間、金沢城址は旧陸軍省の管轄でした。
当時、日本海を挟んで清(中国)、ロシアと対峙していた日本です。
先ほど登場した美術館などに旧陸軍省の建物利用が多いのは、金沢が軍都であった証でもあります。
終戦後、金沢大学のキャンパスとなり、世界でも珍しいお城の中の大学でした。
当時の地図です。

昭和60年の城内キャンパスの雰囲気が少し伝わりますかね。

1995年に金沢大学が移転し、その後公園として整備され現在に至ります。
人気観光スポット石川門の近くで ”金沢大学誕生の地” の石碑を見ることができます。
詳しい場所は書きませんので、興味のある方は探してください。

似たような角度からの石川門の写真を載せます。



路線図です。

金沢城の下方(路線図➅)にテニスコートの表示。
明治になって旧陸軍省の管轄となり、陸軍によりお堀が埋め立てられました。
埋立地にテニスコートがありましたが2010年に いもり堀が復元されています。

正面の木々が兼六園です。当時から観光バスが多いですね。
左側は金沢城です、右の白い建物は消防署だったかな。
復元されたいもり堀。ほぼ同じ方向からです。

個人的にはテニスコート推しです。
金沢の中心部にテニスコート。賑わっていましたし。
この頃はスポーツ飲料と言えばゲータレード。
粉末を水に溶かして飲んでいましたね。

人気観光スポット、尾山神社の神門を見学し参拝した後、東参道から出て、


鼠多門橋の下を通ってをお堀通りを歩きます。

ブラブラ歩いていくと、商工会議所と本願寺金沢別院大谷廟所が見えてきます。

金沢商工会議所は「99.9 刑事専門弁護士」にこの角度で登場していました。
商工会議所隣には本願寺金沢別院大谷廟所。その道路を挟んだ向かい側に、甚右衛門坂の石碑と伴天連屋敷跡の説明板がありますが、その横に甚右衛門坂です。この坂を上ると石川県体育館がありました。バスケットなどの応援で何度か訪れました。



遠い記憶ですので、違っているかも知れません。
映画「恋する女たち」にはダンスパーティー会場として登場しますが、金沢城址に建てられましたので石垣が写っています。

2015年に玉泉院丸庭園が復元されました。
芸術的な石垣も復元され観光客で賑わっています。

予想どおり金沢ネタだけで長くなりました。
次回はTVドラマの話題に戻りますので。
1972年(昭和47年)10月から翌年9月まで40回に渡って放送されたTVドラマ「パパと呼ばないで」。
もう知らない人が多いでしょうね。
個人的にはついこの間。映画「ゴッドファーザー」が公開された年なんです…。

今回は50年前のドラマで、当時の日本を思い出す爺さんのブログです。
親代わりに自分を育ててくれた姉が急死して、姉の娘(杉田かおるさん)を育てることになるのが安武右京(石立鉄男さん)。
放送当時30歳の石立さんと、

8歳の杉田さん(6歳の橋本千春役で、愛称はチー坊)の二人が、周囲の下町の人たちと織り成すドラマです。

チー坊。記憶ありません?
”花は何故咲くの いつか散るのに”(出典:パパと呼ばないで主題歌「にじ」 作詞:たかたかし、唄:貝がら)
という、孫に聞かれたら答えに窮する歌詞で主題歌は始まります。
安武右京(石立鉄男さん)は、出勤前に東武鉄道伊勢崎線 堀切駅前の菓子店であんぱんとコーヒー牛乳を買います。朝食です。

Fantaの看板が懐かしい。
店の主人はステテコ姿。
もちろん外出時は違いますが、近所でステテコ姿のおじさんたちをよく見かけました。ステテコ姿は夏の風物詩でした。
それと、見なくなった ”たばこ” の赤い看板が店の右側に。
買ったのは、最近では見ない紙の蓋付きの瓶入りコーヒー牛乳です。
今では紙パック入りの牛乳がほとんどですが宅配もあります。宅配の瓶入り牛乳の飲み口はフィルムで保護され、その下にプラスチック製の蓋があります。

ドラマに登場する昔の牛乳瓶の飲み口は薄いビニールで覆われ、

その下に厚手の紙製の丸い蓋が付いていました。

その蓋をこんな用具で開けて飲みます。

ドラマでは主人公の安武右京(石立鉄男さん)は手で開けていましたが、器用に口と舌で開ける人を銭湯で何度か見かけたことがあります。
牛乳瓶の次に登場する半世紀前の日本の姿は…。
安武右京(石立鉄男さん)は駅近くの堤防に座ってあんぱんとコーヒー牛乳の朝飯。
その時、先ほど出てきた牛乳瓶の飲み口の薄いビニールをポイ捨てします。次のシーンの黄色で囲った部分がポイ捨てしたビニールです。

”ゴミのポイ捨て(?)” と「?」にしました。
50年前のHansは分別がつく年齢でしたが、周囲にゴミをポイ捨てする人をほとんど見かけませんでした。
1964年の東京オリンピック開催前のマナー向上キャンペーンが功を奏したようです。
戦後の復興期にあった日本は、旅の恥はかき捨て状態。
外国、特に欧米の人々にはとても見せられないようなマナーだったようで、マナー向上キャンペーンを実施して、運転マナー、ゴミのポイ捨て禁止、果ては立ち小便禁止に至るまでマナーの向上を目指したようです。
ドラマのポイ捨ては、安武右京(石立鉄男さん)という人物を表現するための演技、演出かな。そう思いたいです。
以前はゴミをポイ捨てする観光客が目立ち、その大部分が同じ国からの観光客でしたが、昨今は日本への渡航自粛のお陰で見かけることが少なくなりました。
現在の日本で、タバコ以外のポイ捨てを見かけることはまずありません。
タバコは、半世紀前の日本でも50年経った今でもポイ捨ての代表です🚬

今も昔もバス停やバス停近くに多いタバコのポイ捨て😡

歩きタバコの全面禁止をお願いします。

ドラマに登場する半世紀前の東武鉄道伊勢崎線 堀切駅。
東京都足立区千住曙町に位置する荒川沿いの駅です。

流石に50年前の駅舎です。左側に写っている電話ボックスも懐かしい。
と思ったら、Googleマップを見て驚きました。
時間が止まっていました。電話ボックスは変化していますが。
時系列に並べてみます。

”堀切” で思い出すのは堀切菖蒲園。
行ったこともありますが堀切駅とは区も違いますし、この駅からではありません。京成線でした。
チー坊(杉田かおるさん)を引き取った安武右京(石立鉄男さん)は佃島の井上精米店に下宿することになります。
そして、井上精米店を始めとした下町の人たちとの人情ドラマがスタートします。

懐かしい路地の風景に「※」の看板。
昔はお米屋さんがお米を配達してくれましたし、店舗も多かったですね。
お米屋さんでしか販売していない飲料 ”プラッシー” があり、瓶入りの黄色い飲み物を飲んでみたいとの願望も。


「大岡越前」の同心役が記憶に鮮明です。

何と言っても「男はつらいよ」の寅さんのおばちゃん役です。
ほかにも、


等々、当時のホームドラマには欠かせない方々が脇を固めています。
二人が井上精米店へ向かう途中、都電が走っています。


別のシーンでは電車の前面右側に「23」という数字が確認できます。

1967年(昭和42年)12月の第一次撤去から段階的に進められてきた都電の廃止作業。
この23系統は1972年(昭和47年)11月に撤去されたようです。
ドラマの放送開始が1972年10月ですから、その一か月後に廃止。
別のシーンでは道路は自動車で渋滞。
都電はモータリゼーションの邪魔物扱いでした。

ほとんどの都電が廃止されたころの上京なので、乗ったことがあるのは荒川線だけです。飛鳥山での花見が目的でした。

荒川線で面影橋という停留所名を見たときは及川恒平さんの ”面影橋から” が頭を過りました。
都電から転じて金沢ネタを。
実は1919年(大正8年)から1967年(昭和42年)の約50年間、今から60年前に廃止されるまで金沢にも市電が走っていました。
幼い中原中也が金沢を離れて5年後に開通した金沢市の市電。
金沢を訪れたことがある方は「えっ、あの狭い金沢の道路に市電が」と驚かれると思います。
この感想のとおりです。
幸いにも戦災や大きな自然災害の無かった金沢。藩政時代の狭い道がほとんどですからモータリゼーションの波をもろに被り市街地は大渋滞。
そこへ電車の暴走事故が発生し、追い打ちをかける形となり市電の廃止に至っています
金沢市の中心部、香林坊交差点の魚半ビル(跡地は現在の香林坊アトリオ、大和デパート香林坊店)近くを走る市電。
昭和20年代中ごろから昭和30年代後半の写真です。



昔の香林坊交差点の写真と現在(6年前の写真ですが)の香林坊交差点の似たアングルの写真がありました。


1961年(昭和36年)の映画「ゼロの焦点」にも市電が登場しています。
市電廃止6年前の映画です。
当時の金沢の市電路線図です。金沢くらしの博物館の展示物を基に丸数字を付しました。
前出の市電が走る香林坊交差点は路線図の⑦です。

金沢駅前にも市電は走っていました。
駅の目の前には金沢都ホテル。
もう60年以上前の1963年、東京オリンピックの前年に金沢駅前に開業した金沢では初めての都市型ホテルだそうです。
老朽化により2017年3月末閉館。

種々の計画があるようですが、現在は駅前の一等地に だだっ広い更地です。

下記ブログで、金沢都ホテルの閉館から解体、更地を時系列に並べました。
金沢市の中心部に目を移します。
観光スポット 金沢21世紀美術館の場所には金沢大学附属中と記されています。

1995年に附属中学校などが移転した跡地には、金沢21世紀美術館が2004年にオープン。
人気観光スポットとなりました。

長くなってきましたので、Part 2へ続けます。
金沢ネタを続けた後ドラマの話題に戻ります。