一億円のさようなら
直木賞作家 白石一文さんの小説「一億円のさようなら」で巡る金沢の Part 2 です。
金沢が登場する小説です。
端折って説明しますが、この小説では金沢は重要な舞台です。
この小説を原作として、NHK BSプレミアムドラマ「一億円のさようなら」が9月27日(日)夜10時からスタートしますが、ドラマでは金沢が登場しない見込みなので原作で金沢巡りをしています。
詳しくは前回のブログをどうぞ。
鉄平と金沢散歩
鉄平の散歩
“鉄平は、食事がてら散歩に出てみることにした。”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
金沢中心部 片町のマンションに居を構えた鉄平は散歩に出かけます。東急スクエアから香林坊交差点へ歩を進めます。
ここから金沢の観光案内然となりますが、金沢の住人のブログです。ご容赦を。
東急スクエア
東急スクエアは、以前「香林坊109」の名称で「109」の地方出店1号店でした。
1986年の映画「恋する女たち」や2007年の「舞妓Haaaan!!!」にも登場します。
「舞妓Haaaan!!!」は金沢の茶屋街を京都という設定でロケしていますが、香林坊の東急スクエア前も京都と言う設定でした。
市役所から広坂交差点へ
“百万石通りと呼ばれる市役所前の道を真っ直ぐに進むと四つ目の大きな交差点が「広坂」で、その広坂の交差点から見て正面が兼六園、左が金沢城公園のようだった。”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
鉄平は、転入手続きで金沢市役所を訪れたときに百万石通りを通って広坂まで散策しています。
兼六園
金沢観光の定番中の定番です。
金沢城公園
明治時代以降、金沢城は旧陸軍省の管轄でした。その間に多くの建物が壊されたり焼失したりしましたが、釘を使用しない昔ながらの工法での復元が進んでいます。
金沢21世紀美術館
広坂交差点を右へ歩けば金沢21世紀美術館です。
こんなプールの写真を見た方も多いと思います。
人気があり過ぎていつも混んでいます。今年、二ヵ月近く休館して受付窓口の増設などの工事を行いましたが、それ以上の来場者が・・・。
次の写真は昨年9月のチケット売場です。
下の写真は今年の9月、四連休の金沢21世紀美術館です。私は入口で退散しました。
鉄平のように広坂交差点を目印にすれば、金沢の人気観光スポットを回りやすいと思います。
いしかわ四高記念公園
金沢市役所のちょうど対面にいしかわ四高記念公園があります。
いしかわ四高記念公園。昔は中央公園というどこにでもある名前でした。
旧制第四高等学校の敷地だった場所です。
“第四高等学校は「だいしこうとうがっこう」と読むのが正式であることをそのとき鉄平は初めて知った。”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
煉瓦造りの四高本館が残っているので、四高本館を四高記念館とし、中央公園もいしかわ四高記念公園という名称になりました。
全国に39あったという旧制高等学校のうち、旧制一高から旧制八高までをナンバースクールと呼び、後発の旧制高等学校には数字を付さず区別していたとのこと。
当時は下の写真のような四高の学生さんが町を闊歩していました。
金沢は、年配層を中心に今でも “学生さん” と “さん” 付けする人が多い町です。
金沢市役所近辺には金沢の観光スポットが集中しています。
金沢21世紀美術館もすぐ隣です。
近江町市場方面へ
鉄平の散歩に戻ります。近江町市場を目指しています。
東急スクエアと日本銀行金沢支店の前を通り、鉄平が例のお金を入金した三菱UFJ銀行、その金沢支店前で香林坊1丁目の横断歩道を渡り、大和デパートを左に曲がります。
新築のホテルも増えていますが、この付近から武蔵ヶ辻方面は銀行・証券会社や保険会社が集中している金融街です。
鉄平の散歩。157号線を挟んだ向かい側には地元紙 北國新聞の本社ビルがあります。
周囲に高いビルが少ないこともあり、北國新聞のビルは目立ちます。ビルには焼肉の叙々苑金沢店も。
尾山神社
157号線の表通りから少し凹んだ場所に尾山神社が見えてきます。
“参拝を済ませ、総ガラス張りのモダンな札所に立ち寄って御札を一枚求める。”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
“なるほど神社の入口とはとても思えないような奇抜な門だった。”
(出典:白石一文.一億円のさようなら.徳間文庫)
神門がとても目立ちます。「映える」と人気の観光スポットです。
奇抜過ぎる神門は建設当時、地元紙や文豪まで巻き込んでかなりの反対運動があったとのこと。
詳しくは下のリンクで。
近江町市場
名前だけしか登場しませんでしたが近江町市場です。
北陸新幹線金沢開業後は、外国人を含めた観光客が溢れてプチ観光公害状態でしたが、最近は新型コロナの影響で観光客が減り、地元客が戻っています。
自動車は必需品
鉄平は、不動産屋の堀部青年に車がないとどうにもならないと言われます。
“私鉄も地下鉄もないとなれば車抜きで暮らしていくのはすこぶる不便に違いない。”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
金沢は金沢駅を起点とした路線バスが主です。
バスは雪などの天候の影響で遅延することが多々あります。遠方の目的地へバス一本で行くのは至難の業で、乗り換えが必要となることが殆どです。
地元の北陸鉄道はバスが主体ですから、鉄道(電車)の営業キロ数は合計で20.6km。
似たような鉄道営業キロ数を調べたら、東京メトロ 日比谷線の中目黒-北千住が20.3kmでした。ご参考まで。
鉄平が車を購入するまでに自動車の話が色々出てきます。
白石一文さんの車への思いが伝わりますが、撮り溜めの写真の中にはディーラーや該当の車の写真が1枚もありませんでした。
先生には申し訳ありませんが、次の話題へと。
政令指定都市
車の運転にあたって鉄平は “区のない町” の不便さを感じます。そして、
“そもそも、金沢市が政令指定都市でないというのが鉄平には意外だったのだ。”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
政令指定都市の条件は人口50万人以上。金沢の人口は46万人くらいですから条件を満たしていません。
北陸で一番都会は?
これに関して面白いサイトがありました。
「新潟・富山・金沢・福井―北陸の4大都市で、一番発展した都会だと思われているのはどこ」というアンケートです。
アンケート結果(総投票数は5,709票と少ないですが)では、新潟が51.9%の得票率で金沢が38.6%でした。
政令指定都市の新潟の得票率が高い当然の結果になっています。
面白いのは、金沢の得票が多かった道府県がかなり多かったことです(下記日本地図の水色の道府県)。
北陸三県を始め、愛知・静岡などの中部地方や大阪・京都などの関西。そして北海道や福岡では金沢の得票の方が新潟より多くなっています(日本地図の水色の道府県)。
福岡から来た鉄平の思い、そして著者の白石一文さんが福岡出身であることと妙に符合していて面白く感じました。
私見ですが、新潟の県庁所在地は福島の県庁所在地より北にあります。北陸三県(富山・石川・福井)からすれば、新潟は北陸ではなく東北との感覚です。
男川と女川
鉄平は自動車購入の検討のため、金沢市内をドライブします。
“金沢は城下町がそのまま中心街となっている。そして、その城下町は二本の有名な川に 挟まれるようにして発達していた。”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
金沢の旧市街は犀川と浅野川、二本の河川に挟まれています。それぞれ男川、女川の異名があります。
犀川と浅野川 室生犀星と泉鏡花
“一つが室生犀星の小説で知られる犀川。いま一つが泉鏡花の小説で知られる浅野川である。”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
それぞれの川の近くには記念館があります。
ひがし茶屋街
鉄平は浅野川大橋を渡り、ひがし茶屋街を散策します。
海鮮丼 美味しい飯と水
そして昼食の海鮮丼に舌鼓を打ちます。
“魚介の新鮮さも博多以上だったが、それより何より、どの店に入っても飯がうまいのだ。”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
飯がうまいのは米だけでなく水も…。
そう考えた鉄平がネットで調べると、
“金沢は「水道水のおいしい町」としてランキング上位に入っていた。”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
金沢が「水道水のおいしい町」ランキングの上位とは知りませんでした。いつもごく当たり前に飲んでいる水道水でしたが関係者に感謝。
それと金沢へ戻って来たとき、海鮮丼やノドグロが名物になっていることを知りませんでした。私の行動範囲のせいで知らなかっただけなのか。
北陸新幹線金沢開業後、近江町市場には海鮮丼のお店が増えていますし、ノドグロを看板メニューにした飲食店も多くなっています。
以前は金沢は寿司でした。
ノドグロは、テニスの錦織選手の出身地 島根県ブランドが有名です。
尤も、天然フグの漁獲量は石川県が一位ですが、フグと言えば下関が有名なのと同じですね。
私は寿司派です。回る寿司ですが。
鉄平は、
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
ドライブを続けます。
昔のお堀、百間堀を埋め立てた道路です。
上の写真は石川門と兼六園を繋ぐ石川橋から撮ったものです。
この道を別の角度から見ると、
こうなります。この写真の右上部方向から撮ったのがさっきの写真です。
写真で時を遡ります。
下の写真はお堀(百間堀)埋立後です。百間堀が電車が走る道路になりました。
左に石川門も写っています。
次の写真は更にその前です。
写真後方に石川門が見えます。写真の角度は違いますが、このお堀が埋め立てられて道路になりました。
百間堀というだけに広いお堀です。
片町
車は鉄平のマンションがある片町へ。
“左右に建ち並んでいるビルはどれも年季の入った古めかしいものばかりだった。”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
鉄平は心配になります。
“北陸随一と言われる繁華街がこれで大丈夫なのか”
(白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
片町商店街は1894年(明治27年)に組合が結成された、日本一古い商店街組織だそうです。
古い絵葉書を見ると、確かに昔から繁華街です。
幸いにも戦災や大きな災害の無かった金沢では、戦後古い街並みや商店街の再開発が遅れました。
それに加え、戦災に遭った都市に比べて戦後の開発が進まず、焦りもあったようです。
片町商店街の建物に統一感が無く、アーケードが段差になっているのもそのためとのことです。
インフルエンザ
悪寒を感じた鉄平。どうもインフルエンザらしい。
“この二十年余り、具合が悪くなったときは夏代に頼りっぱなしだった。何しろ嶺央大学病院の優秀な元看護師がつききりで面倒を見てくれるのだからこれほど便利なことはない。”
(白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
故郷の自然
私が生まれて初めてインフルエンザに罹ったのは東京の初めての冬でした。
学生寮の管理人に「北陸の人はインフルエンザに弱いんだから」と言われたのを憶えています。
「インフルエンザは高温多湿に弱い」と知ったのは後々です。
湿度の高い北陸から空っ風の東京へ。タミフルも無い時代です。
大学生になって初めてインフルエンザに罹った私。「あ~、金沢の自然に守られていたんだ」と感じたのはかなり経ってからです。
マルエー元菊店
インフルエンザ罹患の可能性を考慮し、鉄平はスーパーへ買い出しに寄ります。
このスーパーは銀行の跡地などにmini店舗を展開しています。
鉄平が最初に寄ったマルエーせせらぎ通り店は、東急スクエア内の元パチンコ店をmini店舗に改装したものです。mini店舗に駐車スペースは殆どありませんが、近所のお年寄りには便利でしょうね。
金沢医療センター
鉄平は金沢医療センターへ向かいます。
ここは加賀八家、奥村家の跡地です。土塀と用水に囲まれた病院です。
加賀八家
江戸時代、石高1万石以上が大名ですが、城を持てる城主(城持大名)は3万石以上の大名だったそうです。
驚くことに、加賀藩には加賀八家と呼ばれる禄高1万石以上の大名クラスの家老が8人いました。筆頭家老の本多家に至っては禄高5万石です。城持大名の基準3万石をクリアしています。
忠臣蔵で有名な大名 浅野家の石高は5万石ですから、完全に大名クラスの家老です。
加賀百万石です。
水の都 金沢
用水
“古い城下町・金沢には犀川と浅野川から引いた大小五十五本もの用水があって、”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
金沢には用水が多く、現在も市の中心部を流れています。
長町の武家屋敷では用水を庭に引き込んでいる屋敷が今でもあります。
お蔭で市の中心部近くで鴨を見ることもできます。
せせらぎ通り
香林坊のすぐ裏手にあるせせらぎ通りにも鞍月用水が流れています。
飲食店の多い雰囲気の良い通りです。
菊助
“そのせせらぎ通りの中、鉄平のマンションから五分ほど歩いた場所に「菊助」という一軒のしもた屋風の小料理屋があった。”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
「菊助」。この近辺で菊の付く飲食店。私が思いつくのは「菊一」ですが おでんの店です。
しもた屋風という言葉から推測すると「孫助」だと思いますが‥。
白石一文さんに正解を教えていただくしかないですね。 お願いします。
金沢の魚介
“金沢は、魚にしろエビにしろカニにしろ種類と鮮度が抜群で、東京どころか博多と比べてさえ一枚上手の感がある。”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
嬉しいですね。金沢の住人としては感激します。
鉄平の食べた がすえび。とても美味しいエビです。足が早いので地産地消です。
金沢で見かけたら即注文をお勧めします。
写真は鉄平の食べているブリの叩きではありませんが、寒ブリは美味しいですよ。
お酒も美味しい。石川県には「美味しんぼ」に登場した銘酒が揃っています。
涎がでてきました。同時に文字数が・・・。
ちくは寿司まで行き着けなかった。
まだ続きます。