Hans Potterの日々

映画と音楽と本、そして食べることが好きなオジサンです。徒然なるままに…

神門の秘密 尾山神社

大河ドラマ利家とまつ

ご祭神

金沢市尾山神社は、明治6年加賀藩の旧藩臣により建てられた比較的新しい神社で、加賀藩の藩祖 前田利家を祀っています。

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尾山神社境内の前田利家

明治4年に発令された太政官の布告(神職世襲廃止、神社の官社・諸社の二大別)の影響か、当時、藩祖を祀る神社の創建が全国的に多かったようです。

平成10年になって正室、お松の方も合祀されました。

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尾山神社境内の お松の方像

夫婦円満や縁結びの御利益

平成14年に放送されたNHK大河ドラマ利家とまつ〜加賀百万石物語〜」は戦国時代の物語ですが、利家とまつ、秀吉とねね、佐々成政とはるの夫婦愛を描いたドラマでした。

前田利家唐沢寿明さん、まつが松嶋菜々子さん、秀吉が香川照之さん、ねねを酒井法子さん、佐々成政の妻はるは天海祐希さんが演じていました。

織田信長松嶋菜々子さんの夫、反町隆史さんだったのも印象に残っています。

夫婦円満や縁結びも御利益に挙げられているのは大河ドラマの影響でしょうか。

視聴率

ビデオリサーチ社によれば、「利家とまつ」の全国平均視聴率は22.1%だそうですが、石川県での平均視聴率は40.5%と全国平均の倍近い数字です。やはりお膝元ですね。
尚、全国平均視聴率22.1%という数字は、21世紀になってからの大河ドラマの中では、2008年放送の「篤姫」の24.5%についで2位の高視聴率だそうです。

神門の建設は大人の事情も

インスタ映え

尾山神社は観光スポットとして人気ですが、特に神門前でカメラ・スマホを構える観光客が多いようです。

和洋折衷どころか、中国風の要素も入った和漢洋折衷の独特なフォルムが ”インスタ映え” すると人気です。

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神門前で撮影する着物姿の観光客

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参道から見た神門

明治初期の諸事情

尾山神社が建設された2年後の明治8年に神門が造立されました。神門自体は元々計画されていたとは思いますが、建てるにあたっては大人の事情もあったようです。

前田家は江戸時代最大の外様大名です。幕府の目もあり、藩祖 前田利家を公然と祀ることも敵いませんでした。

徳川幕府が終焉を迎え明治となり、前田利家を卯辰八幡宮(現在の宇多須神社)から遷座し、鳴り物入り明治6年尾山神社を建立します。

ところが 一、二年もすると参拝客や寄進が減少し、神社の維持・管理に暗雲が立ち込め始めました。

SAMURAIの減少

江戸時代には金沢の人口は12~13万人。

江戸、大坂、京都に次いで、名古屋と並ぶ都市でしたが、明治維新で大部分の士族が職を失います。また、廃藩置県で一時的ですが美川に県庁が移されたことが、金沢の人口減少に追い打ちをかけ、参拝客や寄進の減少に大きな影響を与えたと考えられます。

明治期以降、尾山神社に限らず、特に士族との関係が深かった社寺では、檀家などのお布施や寄付に頼っていた建物などの維持・管理費用の捻出に苦労したであろうとは、私でも想像に容易いことです。
これは現在でも同じようで、宗教施設であるため憲法政教分離の観点から行政からの補助は難しく、境内の一部を駐車場にしたり売却したりすることが避けられなくなっているようです。各社寺では維持管理に問題をかかえ、参拝客や寄進の増加に努力しているようです。

神門は客寄せパンダ?

このような時代背景から “客寄せ” を目的として、わざわざ奇をてらった神門が計画されたとのことです。客寄せパンダならぬ客寄せ神門ですね。
ヒエラルキーの典型であった江戸時代が終焉を迎えたとは言え、壬申戸籍に見られるように、まだまだ隠然たる上下関係が残っている明治の初めです。廃刀令の発令も明治9年です。

“客寄せ” という大人の事情があったとはいえ、そんな時代に藩祖を祀る大切な尾山神社の神門の設計を市井の大工の棟梁 津田吉之助に “洋風にしてくれ” と託した旧加賀藩士たち。神社の維持・管理に相当悩んでいたのでしょう。

大工の棟梁 津田吉之助の悩み

任された大工の棟梁 津田吉之助も悩んだでしょうね。

明治8年ですから、金沢に “洋風” 建築の見本は無かったでしょうから…。

恐らく棟梁は各地の洋風建築を見学に行ったり、錦絵を見たりして棟梁なりに研究し考えたでしょう。
そもそも “洋風” を知らない棟梁ですから、見聞きした “洋風” の建物が、実は中国風の建物であっても分からなかったでしょう。和風以外の建物全てが  “洋風”  に見えたと思います。

そのため、和洋折衷を通り越して和漢洋折衷の特徴のあるデザインになったと言われています。

大工の棟梁 津田吉之助が一生懸命考えた、棟梁なりの “洋風” の集大成が尾山神社の神門です。

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夜の神門(写真提供:金沢市

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昼の神門

レンガつくりの竜宮城 神門反対論争

尾山神社のシンボルとなった “洋風” の神門を見て、明治時代の人々は奇異に感じたと思います。
完成後は見物客も多く大いに賑わったそうですが、当時としては、あまりの奇抜さから「醜形門」との反対意見も多くなり、神門改造論が新聞紙上を賑わしたと言います。
金沢を訪れた幸田露伴河東碧梧桐などの著名人が「レンガつくりの竜宮城」などと発言し、ますます反対運動が激しくなり、代案の門の設計図まで出来ましたが、改造資金が集らず断念したとのこと。

金沢は元々保守的な方が多い町ですから、金沢21世紀美術館の設立時に一部の市民が反対したのと似ていますね。
周囲の反対に負けずに神門を作った棟梁と、その設計にゴーサインを出した旧加賀藩士たち。お蔭で今では国の重要文化財です。

日本で最初の避雷針

神門の避雷針

三層構造の神門ですが、最上層部の屋根には尖った棒状のものが空に向かって立っています。
オランダ人医師 ホルトマンの「北陸は雷が多いから」との助言に従い設置された避雷針で、現存する日本で最古の避雷針だそうです。

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神殿側から見た神門。先端の避雷針が確認できます

雷の町 金沢

気象庁によると、金沢市の年間の雷日数42.4日は日本で一番多いそうです。大部分が冬の雷で、ズシーンとお腹に響き、窓ガラスがビリビリ震えるような雷鳴です。

ズワイガニを求めて金沢に来た観光客、特に夏の雷に慣れている太平洋側からの観光客はビックリするでしょうね。

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でも、地元の人間には本格的な冬を迎えるぞ〰っ、という心構えの雷、かつ、寒ブリのシーズンだぞ〰っ、という鰤起こしの雷です。

冬の金沢の楽しみ方

雷の音を聞きながら炬燵で食べる寒ブリズワイガニは美味しいですよ。地酒が進みますよ。

北陸の冬を満喫してください。