先月、10日余り入院。まさしく鬼の霍乱です。
ブログも中断。中断している間にBSプレミアムドラマの「一億円のさようなら」は終了しました。
Part3まではブログがドラマを先行していましたが、今回からは後追いになります。
一億円のさようなら
最初に
直木賞作家 白石一文さんの小説「一億円のさようなら」には金沢の町や石川県の食が沢山登場します。
地元の人間にはとても嬉しい小説ですので、ブログで主人公の加能鉄平の行動に沿った金沢巡りをしています。
前回までは下記のリンクです。
ドラマを録画で観ましたが
ドラマを最終回まで録画で追いかけましたが、原作と舞台設定が違う以外に登場人物の設定も違うような。
武田真治さんが演じていた木内昌胤が、若い営業マンである鉄平を可愛がったのは何故か・・・。
木内昌胤、そしてドラマには登場しなかった高松琢磨は邪悪さを隠し持っていた。鉄平にも同じ臭いが。
ドラマの上川隆也さん演ずる鉄平からは想像できません。
原作はかなりドロドロしています。
白石一文さんの原作を是非どうぞ。
金沢巡りを続けます
残念ながら、11月15日に最終回を迎えたNHKのBSプレミアムドラマ「一億円のさようなら」では、金沢は登場しませんでした。
ほとんどの方は、自分の故郷に愛着があると思います。私もその一人ですので、ブログでは金沢巡りを続けます。
加能鉄平とズワイガニ
ここで話が飛びます。
11月になりました
11月に入り、金沢では兼六園の雪吊り作業が始まったというニュースや、ズワイガニ漁が解禁になったというニュースが地元紙の紙面やテレビのニュースを賑わせています。
ネモト不動産の堀部青年
ズワイガニ漁解禁のニュースで思いだしたのが、金沢に着いた加能鉄平が部屋探しをしていた時のエピソードです。
部屋探しで訪れたネモト不動産の堀部青年に、
“お名前が加能さんなのでてっきり石川の方だと思いまして”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
と言われます。
「加能」
石川県内で水揚げされたズワイガニは「加能ガニ」というブランドで販売されています。
「加能ガニ」の「加能」は、加賀と能登の一文字を組み合わせた石川県内統一ブランドですが、ブランド名としては松葉ガニや越前ガニほど浸透していないのは事実です。
そこで伝家の宝刀「金沢」をプラスした新ブランド「加能ガニ金沢」が今年から加わりました。金沢港に水揚げされたもので大きさが一定基準以上のものを「加能ガニ金沢」という新ブランドとするようです。
因みに、私の周囲には「狩野」さんや「嘉納」さんはいましたが「加能」さんはいませんでした。
名字由来ネットというサイトで検索すると、「加能」姓は全国でおよそ140人。全国的にも少ない名字のようです。
全国的にも少ない名字、そして世間にそれほど浸透していない「加能」という単語から鉄平を石川県出身だと類推した堀部青年。地元愛の強い好青年です。
波江のやっている木蓮
話を戻します。
片町伝馬商店街
“波江のやっている「木蓮」が犀川べりの片町伝馬商店街にある”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
んっ? 片町伝馬商店街ってどこだ!?
“犀川と接して走る「夕焼け通り」と一本香林坊寄りに入った「マイ スター 通り」、さらに斜めに延びた「ゆめみ小路」、横に短く走る「古都路通り」の四つの通りで構成されている。”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
「夕焼け通り」、「マイスター通り」、「ゆめみ小路」、「古都路小路」?
「木蓮」は「マイスター通り」に・・?。
大学入学以降金沢を離れ、北陸新幹線開業のころに金沢へ戻って来た私には通りの名前がピンと来ません。
“片町伝馬商店街は飲み屋や割烹の店が建ち並ぶ夜の街”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
ということなので、片町伝馬商店街での飲食経験はあるとは思いますが通りの看板などを見た記憶がありません。
片町伝馬商店街のこんなアーケードサインを見た記憶は・・・ないな。
とてもローカルな、そして個人的な金沢探索へ
今回は「一億円のさようなら」に託けた、とてもローカルな、そして個人的な片町伝馬商店街探索になります。
“「木蓮」はロイヤルパレス香林坊から十分とかからない場所にあった。”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
など、原作の記述を頼りに先ずGoogleマップで当たりをつけました。
ここら辺でしょう。夜なら何度か行った地域です。
片町伝馬商店街までの道程
にし茶屋街がスタート地点
金沢三茶屋街(ひがし、にし、主計町)の一つ、にし茶屋街に用事があったので、にし茶屋街を起点に実際に片町伝馬商店街まで歩いてみました。
先ずはにし茶屋街の甘納豆かわむらで、頼まれていた買い物を済ませ目的地へ向かいます。
神明宮
途中、神明宮でお詣り。
この神社は詩人 中原中也が幼少時に遊び場にしていた神社で、数々の中也の詩の原点とも言われる経験をした場所です。
幼い日の室生犀星も遊びに来たでしょうね。
犀川大橋を渡ります
犀川大橋を渡り、飲食店ビルを越えて左折です。
確かに何度か飲みには来た場所です。
金沢の車道は富山の歩道より狭い
片町伝馬商店街へ続く狭い道路は一方通行。城下町特有の見通しが悪く狭い道を進みます。
富山の人が「金沢の道路は富山の歩道より狭い」と言ったとか言わなかったとか。
片町伝馬商店街
片町伝馬商店街の案内板がありました
おっ、少し開けた場所に片町伝馬商店街の案内板が。
右下に「平成19年3月標立」との表示があります。私は金沢にはいなかった頃です。
通りの地図も
「夕焼け通り」、「マイスター通り」、「ゆめみ小路」、「古都路小路」の地図も記載されています。
なんだ、ここらも何度か来ている場所だぞ。
道路には「片町伝馬商店街」の標柱もあり、この一角で当初の目的を果たしました。
用水も流れています
案内板は大野庄用水の取水口のすぐ横です。用水にかかる橋の親柱には「大正十年十月架」の文字が刻まれています。
金沢市内には数多くの用水が今でも水の音を響かせていますが、大野庄用水もその一つです。
旧町名
用水の横には「旧傳馬町」の標柱も。
「伝馬町」。如何にも城下町ですね。東京の大伝馬町や小伝馬町。
大手町など城下町共通の町名で今でも残っているものもありますが、御徒町とは字違いの御歩町や与力町等々、さらには金沢独特の町名で消えた町名が数多くあります。
旧町名復活運動
昭和37年から施行された「住居表示に関する法律」により、古くからの町名が「△△〇丁目」などの味気ない町名になってしまいました。
金沢では全国に先駆けて旧町名復活の機運が高まり、20年かけて1999年(平成11年)に全国で初めて復活した主計町(かずえまち)を始め、旧町名復活が進んでいます。
古い町家が並ぶ風景
夜しか来たことが無いと思っていましたが、昼間食事をしたことがあるお店もありました。
“金沢は古い町とあってかつての町屋がたくさん残っており、”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
“「木蓮」のあるマイスター通りも職人町の名残りで町屋や町屋風の店が軒を連ねているのだが、その中ではめずらしく「木蓮」はコンクリート造りのビルだった。”
(出典:白石一文. 一億円のさようなら.徳間文庫)
「職人町の名残り」。今でもこういうお店がある通りです。
金沢に住んでいる人間には見慣れた町家が軒を連ねる風景です。
所々にビルが建っています。勿論、町家の跡地ですからそんなに大きなビルではありません。
冠木門はありませんが、こんな感じの料理店もありました。
さて、いよいよ「木蓮」で藤木波江(高森波江)との再会、表莉緒、そして表さんの手巻き寿司との出会いが待っています。