年越し蕎麦
今年(2020年)も残り僅か。新年へのカウントダウンが近づいています。
一年が早いこと。
皆さん、年越し蕎麦は食べましたか。
寒い時期でもあり温かい年越し蕎麦を選ぶ方が多いのですが、私は もりそばを注文することが多かったですね。
好みは十人十色ですが、個人的には蕎麦は冷たいもの、うどんは温かいものを食べていました。季節に関係なく。そのため年越し蕎麦も もりそばが多かったな。
最近は、自宅で調理済みの市販にしんを使った温かい年越し蕎麦を食べることが多くなりました。連れの作る にしんそば、美味しい。
今年の大晦日(今日)は、大雪注意報にプラスして新型コロナ対策のため、自宅でにしんそばができあがるのを待っています。
ラーメンも好きですが、年越し蕎麦に関連して、大学入学で上京するまで=私の高校時代までの金沢の麺類、それもうどんと蕎麦の思い出を少し。
加えて東京での麺類の思い出と、金沢へ帰ってからについても書いていきます。
うどん文化圏
柔らかいうどん
金沢は関西と同じ、うどん文化圏です。隣県の富山県と福井県はそば文化圏でしょうね。あくまで私の個人的な感想ですが。
昔からの金沢のうどんは柔らかいうどんです。
高校時代、当時は出前が当たり前の時代でしたが、出前の間に麺がのびた柔らかさではなく、根本的に柔らかかったような記憶があります。
ただし、決してコシがないという意味ではありません。
今のように全国チェーンの讃岐うどん店はなかった時代ですから、柔らかいのが当たり前だと思っていました。
大阪と福岡のうどん
社会人になってからは、転勤で暮していた頃に食した大阪のうどん、そして出張で訪れた福岡で、地元の方に「本当は福岡はラーメンよりうどんなんですよ」と言われて食べたうどんがとても柔らかく、ホッとした記憶があります。
カルチャーショック その1
同じうどん文化の大阪でもカルチャーショックがありました。
金沢で食べていた「いなりうどん」(細く切った油揚げが入った京都風のきつねうどんを想像してください)という単語が中々通じず、出てきた「けつねうどん」のお揚げさんの大きかったこと。
金沢のうどん屋さん
遥か昔、私が高校生の頃の金沢では、お多福や加登長といった店が多かったですね。
こんな看板です。
うどん屋さんと言っても看板のとおり、蕎麦や丼物、そして中華そば(ラーメン)などもメニューにある何でも屋さんです。
最近は看板を見かける機会が減ってきているような。
加登長
加登長は石川県小松市がルーツです。
加登長の創業者は和田長平。石川県に大阪うどんを持ち込み、明治30年(1897年)に、鉄道開通直前の小松駅前の角地に加登長の屋号で開店したとのことです。
角地の角=「加登」に創業者の名前の「長」で加登長?
それとも加賀の「加」と能登の「登」で石川県全体を表し、石川県の「長」となることを表現した壮大な屋号なのかも。
加登長は鉄道の延伸に伴い金沢へ移転します。
加登長の創業地 小松のうどんは歴史が古く、藩政時代からの名物です。かつて松尾芭蕉も食したとのこと。
お多福
お多福は明治43年 (1910年)に金沢で創業。
創業者の桐木平次郎は片町加登長の援助で麺類の行商をしていたとのことです。
金沢のラーメン屋さん
主題のうどん・蕎麦から外れますが当時の金沢のラーメン事情を少し。
お多福や加登長には、うどん以外に丼物やラーメン(中華そば)もメニューにあり、食べたこともあります。
それは置いといて。
チュー
遥か昔、私が金沢に居た高校時代、ラーメンといえばチューという店でした。
この看板も見かけることが少なくなっています。
チューは昭和21年(1946年)に水野忠が創業。
水野氏がネズミ年で、名前が「忠」であることからチューと命名。
因みに水野忠は三越金沢店の食堂で中華料理の調理師だったそうです。
三越 金沢店
三越、あの日本橋の三越です。三越には昭和5年(1930年)から5年間ほど金沢店がありましたが、地元の百貨店との競合激化のため5年で撤退しました。
三越撤退の跡地に開業した百貨店が丸越で、現在の かなざわはこまちの場所です。めいてつ・エムザ(金沢名鉄丸越百貨店)の前身のデパートですね。
8番らーめん
私の高校時代、まだ金沢には8番らーめんが少なかったころです。
昼休みに悪ガキ仲間が自転車に乗って、市の中心部の8番らーめんまで食べに行ったこともありました。自由な校風の高校でした。
「金沢には8番らーめんが少なかった」。
えっ、なんでやろ8番。なんで金沢にすくなかったんやろ、と調べました。
8番らーめんは昭和42年(1967年)の創業。会社になったのが昭和46年という比較的新しい組織です。創業の地も加賀市で、福井市の方が近いような場所です。納得。
金沢の蕎麦屋さん
蕎麦については、先に書いた うどん屋さんか、確か源八という名前の店で食べた覚えがあるだけです。高校時代、蕎麦専門店の記憶はほとんどありません。
もっとも高校生ですから、わざわざ遠くまで出かけて食べることはありませんので、郊外の蕎麦屋さんを知らなかっただけなのかも知れません。
高校生当時の私の記憶に残っている金沢市内の蕎麦専門店は、竪町商店街の入口近くにあった砂場くらいですかね。
当時の住宅地図ですと現在のこの辺りです。
金沢の食の専門店について
以前、金沢には すき焼と鰻、そしてトンカツと天麩羅の専門店が少ない、と書いたことがあります。
直前に住んでいたのが浅草だったので特にそう感ずるのかも知れません。
最近では蕎麦屋さんも増えてはいます。
いざ、東京へ
カルチャーショック その2
大学生になって初めて東京に住んだとき、小腹が空いたので大家さんに「近くに、うどん屋ありますか」と聞いたら、「すぐそこに蕎麦屋があるよ」と言われたのがカルチャーショックでした。
教えてもらった蕎麦屋さんには丼物やうどんもあり、私の感覚では金沢で言うところのうどん屋さんでした。うどんを食べたかったのに、蕎麦を注文した記憶があります。
カルチャーショック その3
そして第三のカルチャーショック。
蕎麦の汁(つゆ)の色が濃い。とてもしょっぱそうな色に驚きました。見た目と違って、実際に食べるとしょっぱくはありません。関東と関西の醤油の違いです。
東京での麺類生活
東京で暮らし始めてから、特に社会人になってからは、うどんより蕎麦を食べる回数が増えました。郷に入れば郷に従えです。
職場の先輩に、柴又に暮らす江戸っ子がいましたので誘われることも度々。実際、店舗数も多いですし。
東京の醤油ラーメン
またもや、うどんや蕎麦から逸れますが、初めての東京でのラーメンの思い出を。
カップヌードルやサッポロ一番味噌ラーメンは、学生時代の必需品でした。
それは置いといて。
〇〇系ラーメンなどはまだ無い時代でしたから、ラーメンといえば町の中華屋さんで醤油ラーメンを食べていました。
あの頃食べた、中華屋さんの醤油ラーメンと天津飯を今でも思いだします。
東京の醤油ラーメン、美味しかった。
蕎麦
職場近くの東京駅から山手線で一駅(ほとんど歩いていましたが)と、割と近い神田界隈の蕎麦が必然的に多かったですね。やぶそば、まつやあたりかな。
神田まつや
神田まつや(店の雰囲気が私には一番合っている蕎麦屋さんです)は、蕎麦初心者の私を柴又在住の先輩が連れていってくれた店です。
座って「取り合えずビールですね」と言ったら、「蕎麦屋じゃ酒だろ」と言われた思い出の店です。
蕎麦を食べる前に、かまぼこ、にしんを肴に酒を飲むことを覚えた思い出の店です。
酒、いっテレツ
ものの本によれば、昔は注文を受けてから蕎麦を打っていたので、蕎麦が出て来るまでの待ち時間を酒で・・・ということだそうです。
「おーい、酒、もう いっテレツ頂戴」
かんだ やぶそば
かんだ やぶそばも行きましたね。
「せいろう一枚~」。初めて行ったときは思わず見つめてしまいました。
焼失前の旧店舗の記憶が鮮明です。下の写真はほぼ同じ方向からですね。
蕎麦屋さんが多いこと
他には、浅草の並木藪蕎麦。裏返しになった笊に盛った蕎麦には最初驚きました。
室町砂場も職場から近い場所にありましたが、何故か行かず仕舞い。映画「祈りの幕が下りる時」で阿部寛さんが美味しそうにすすっていましたね。
兎に角、東京という町には至る所に蕎麦屋さんがあり、いろんな店を経験しましたが、とても紹介しきれません。あしからず。
金沢へ戻ってからの蕎麦屋さん巡り
金沢へ戻ってきてからは蕎麦屋さん、良く回りました。
金沢近郊の蕎麦屋さん
草庵
一番回数の多いのは、鶴来の草庵。
山が近い蕎麦屋さんです。天麩羅に海老などの海のものが入っていないのが潔く、私のポイントは高めです。
山ん中の天麩羅に海老があるのは・・・。私の持論です。
県外ナンバー、手元の写真だけでも大阪、春日部、相模などかなり遠方のナンバーが多いので、全国的にも有名なんでしょうね。
ヌードルハラスメント
一度、外国人連れの女性(注文時の会話からして日本人だと思います)が、蕎麦をすすっている人を見て、あからさまに眉をひそめていました。
てやんでえ、
お茶の吸い切りはどうすんだよ。
勿論、私はいつもどおりにすすりました、とさ。
花川
鶴来から更に白山方面へ進むと花川があります。
この日は、御前そばとおすみ花をいただきました。
この辺りの山間(やまあい)まで来ると蕎麦屋さんがとても多く、全ては紹介できません。
蕎麦処 上杉
足を延ばして千里浜なぎさドライブウェイ近くの上杉へ。
初めて行ったときは、セットで付いてくる水羊羹のインパクトが強く、蕎麦の味を忘れたくらいです。
勿論、土産に買いました。手を付けてから思い直して写真を撮ったので、少し見苦しいのですがご容赦を。
加賀 上杉
それと上杉からの暖簾分けという山代の加賀 上杉も忘れ難い。
金沢市内の蕎麦屋さん
やまの葉
一時期よく通ったのが金沢市富樫にある やまの葉。ご主人、忙しそう。
蕎麦 宮川
別所の宮川。この辺りはタケノコの時期にもよく訪れる場所です。
更科藤井
金沢市中心部の更科藤井。
ネットの口コミが良かったので、買い物の帰りに寄りました。
店に入ると、店主らしき人は奥の調理場辺りで知人と思しき人々と談笑中。
出てきた天麩羅は・・・ん? 揚げたて?
肝心の蕎麦は・・・ん? 少し乾き始めている?
店に入った時間帯(写真のExif情報では午後1時半過ぎで、客は私たちだけ)が悪かったのか、それとも蕎麦の味も分からない老人と思われたのか。
蕎麦屋の湯桶
この蕎麦屋さんの湯桶(蕎麦湯の入っている湯桶)は丸湯桶でした。
湯桶で少し話が逸れます。
第三者が横から口を出すことを「蕎麦屋の湯桶」と言いますが、角湯桶の形だからの例えですね。丸湯桶だと成立しません。
ところで湯桶という言葉、小学校で「湯桶読み」を習った後、落語でしか聞いたことがありません。皆さんは如何ですか。
良いお年を
今ではラーメンが主流となりつつある麺類ですが、個人的な思い出を綴りました。
それでは皆さん良いお年を。