抒情小曲集
ふるさとは遠きにありて思ふもの
“ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの”
(出典:室生犀星 抒情小曲集 小景異情 その二より )
室生犀星の名前は知らなくても、この詩の冒頭をご存知の方は多いと思います。
この詩の出だしの部分しか頭になく、ずっと遠く離れた故郷を思った詩だと解釈していました。
学者・評論家の解釈
本はよく読む方ですが、この詩の別の解釈を知ったのは高校に入ってからです。
幾人かの評論家や学者が「この詩は東京で詠んだのではなく金沢で詠んだ詩だ。萩原朔太郎の解釈は間違っている。」と断じておられます。
ここでいう萩原朔太郎の解釈とは、上に記した私の感想と同じで遠く離れた故郷を思った詩だとの解釈です。先生方はこの解釈が違うと言っておられます。
私の個人的な考え方
犀星は、同じ抒情小曲集の中の「犀川」と題した詩で、
“うつくしき川は流れたり そのほとりに我は住みぬ(略)いまもその川ながれ 美しき微風ととも 蒼き波たたへたり”
と、金沢の犀川への思いを詠んでいます。
“文壇に盛名を得た1941年が最後の帰郷となり、以後は代わりに犀川の写真を貼って故郷を偲んでいたという。”(出典:室生犀星 - Wikipedia)
と言いますから、 やはり犀星にとって故郷は懐かしく帰りたい場所だったのだと思います。
File:Kanazawa Station circa 1933.jpg - Wikimedia Commons
優しい心で味わいましょう
学者先生方の、「故郷」と「ふるさと」の使い分けがどうの、「都」と「みやこ」の使い方がこうのなどと捏ね繰り回した解釈や、東京で詠んだ詩だ、いや金沢で詠んだものだ、なんぞという解釈より、親友であり、そして詩人であり、犀星をよく知っていた萩原朔太郎の解釈が最も素直であると私は個人的に思います。
実際、犀星本人は東京で詠んだ詩か金沢で詠んだ詩かを明確にはしていません。
故郷である金沢を大学入学以降離れていた私には、萩原朔太郎のように素直に解釈するのが一番しっくりしていますし、この詩を読んだ大部分の方の捉え方・考え方も、萩原朔太郎の解釈と同じだと思いますが如何でしょうか。
犀星も抒情小曲集の自序で、
“もとより詩のよいわるいはすききらひより外の感情で評価できないものだ。これらの詩がどれほどハアトの奥の奥に深徹してゐるかについて、今私は何もいへないけれど、人人はきつとよき微笑と親密とを心に用意して読んでくれるだらうと思ふ。むづかしい批評や議論ぬきの「優しい心」で味つてくれるだらうと思ふ。それでこそ私がこの本を世に送り出した甲斐のあることを感じるのだ。”
(出典:室生犀星 抒情小曲集 自序より)
と言っています。”むづかしい批評や議論ぬきの「優しい心」で” 味わいましょう。
雨宝院
Love Child
犀星が愛した犀川の流れの横に雨宝院があります。幼い犀星が暮らした場所です。
“Love Child”。
ダイアナ ロスとシュプリームス(Diana Ross & The Supremes)の歌を聴き、洟垂れ小僧が父親の辞書で意味を調べた単語です。犀星も “Love Child”、私生児でした。
犀星はこの言葉を晩年まで引きずっています。生まれてすぐに養子に出された犀星が、自分の生い立ちを知ったのは幾つになった頃でしょうね。
犀星の気持ちは彼の作品に影響を与えています。極めて当然のことだと思います。
この寺院は、単に犀星が過ごした場所だとノスタルジックに考える場所ではないと思います。多感な時代をどのような思いで暮らしていたのでしょうか。
少年時代への思い
そのヒントらしきものが「抒情小曲集」の自序にあります。
“誰でも云ふ「少年時代は楽しかつた」と。「少年は神より人間より最つと別な神聖な生物だ。」とドストイエフスキイも云つてゐる。若若しい木のやうに伸びゆく力は、ほんとにあの時代に限つて横溢してゐる。”
(出典:室生犀星 抒情小曲集 自序より)
自分が置かれた複雑な立場の中で過ごした少年時代。その少年時代への犀星の思いが少し分かるような気がします。
室生犀星記念館
犀星の生まれた場所
犀星が幼少期を過ごした雨宝院のすぐ近くに室生犀星生記念館があります。
建物前には「室生犀星生誕地跡」の石碑。
造園に造詣の深かった犀星の記念館だけに、馬込の自宅に設えた九重塔や坪庭(坪池?)など、庭も綺麗です。
自筆原稿から感じたこと
展示されている自筆の原稿は、原稿用紙の枡目の真中に可愛らしい小さな字がすまなそうに鎮座しています。
椅子を振り回して喧嘩の加勢をしたという逸話の一方、猫好き・他人の世話好きで知られる犀星です。
猫好きの優しさが、筆跡の可愛らしさとして表れているような気がします。同時に幼少期の体験・記憶が小さな字となった遠因ではないでしょうか。
金魚はびっくりしてうんこをした。
犀星の作品と写真を自分で組み合わせて絵葉書を作るコーナーがありました。
「動物詩集」の「金魚のうた」を選びました。多分に「蜜のあはれ」に影響されたのだと思いますが。
”金魚はびっくりしてうんこをした。”
(出典:室生犀星 動物詩集 金魚のうた より)
で始まる詩です。詩の最後に
”うんこはかなしげにういてしづんだ。”
(出典:室生犀星 動物詩集 金魚のうた より)
と印刷された絵葉書を持って記念館を後にしました。
ゲーム(文豪とアルケミスト)の影響か、若い女性の来館が増えているとのことです。犀星を知るには良いことだと思います。近いので、雨宝院もどうぞ。
野田山
犀星の墓所
犀星の墓は、犀星の愛した犀川までは1㎞強、雨宝院までは4㎞ほどの金沢市の野田山にあります。九重塔です。
前田利家や鈴木大拙の墓所もあります
野田山は金沢市の南東に位置します。ファンシイダンスのロケ地となった大乗寺の近くです。
前田利家が兄の墓を作ったのが切っ掛けで、前田家の墓所や家臣の加賀八家の墓所、そして町人等々、身分や宗派に関わらない墓地となっています。
市街地から近く、訪れる観光客も意外といるようです。私が訪れた時は観光タクシーが前田家の墓所に停まっていました。