金沢シャッターガールのPart 2です
金沢が舞台の「金沢シャッターガール」。
桐木憲一さんの原作で金沢巡りをしていますが、今回はPart 2です。
金沢を舞台にした桐木憲一さんの原作には、金沢の人間でも知らないようなことも書かれています。
勿論、定番の観光スポットも紹介されていますので、コミックですが金沢の観光ガイドブックとしての利用も可能…かな。
原作と映画ではストーリーも、登場する場所も違います。それを前提にご覧ください。
Part 1は下記へどうぞ。
第3話 室生犀星記念館
ふるさとは遠きにありて思ふもの
ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの
(出典:室生犀星 抒情小曲集 小景異情その二より抜粋)
室生犀星の有名な詩です。今年の2月、ブログでこの詩を取り上げました。
hanspotter.hatenablog.com
学者先生の中には、この詩は望郷の詩ではないとおっしゃる方がいます。
ブログの中で、”小難しく考えず「望郷の詩である」と萩原朔太郎のように素直に解釈するのが一番しっくりする” と書きました。
誰かをさがすために
主人公の夏目花奈が、室生犀星の最後の詩集の一編「誰かをさがすために」が好きだと言っていますが、「誰かをさがすために」をここに持ってくる桐木憲一さん。凄いと思います。
けふもあなたは
何をさがしにとぼとぼと歩いてゐるのです、
まだ逢つたこともない人なんですが
その人にもしかしたら
けふ逢へるかと尋ねて歩いてゐるのです、
逢つたこともない人を
どうしてあなたは尋ね出せるのです、
顔だつて見たことのない他人でせう、
それがどうして見つかるとお思ひなんです、
いや まだ逢つたことがないから
その人を是非尋ね出したいのです、”
(出典:室生犀星 「誰かをさがすために」抜粋)
室生犀星の言葉の選び方、使い方。改めて味わってみたいと思わせる詩です。
Love Child
室生犀星は “Love Child”、私生児です。生まれてすぐに養子に出されています。
原作のユーリも母を捜しています。「誰かをさがすために」。この詩がとても効いていると思います。
昨日いらしつて下さい
「誰かをさがすために」が収められている詩集の「昨日いらしつて下さい」も好きです。
とてもお洒落な、現代にも通ずる言葉の使い方、表現です。室生犀星は言葉の魔術師だと思わせる詩です。
きのふ いらしつてください。
きのふの今ごろいらしつてください。
そして昨日(きのふ)の顔にお逢ひください。
わたくしは何時(いつ)も昨日の中にゐますから。
(出典:室生犀星「 昨日いらしつて下さい」抜粋)
この「昨日いらしつて下さい」という題名と、ユーミン(松任谷由実さん)のアルバム名「昨晩お会いしましょう」が頭の中でループしました。
アルバムの曲「ビュッフェにて」に登場する城下町は金沢だそうですが、金沢好きを公言し、石川県観光ブランドプロデューサーでもあるユーミンと、金沢の作家 室生犀星。どこかに縁があるのかも、と無理矢理の解釈です。
ユーミン(松任谷由実さん)と金沢については、下記ブログでも少し…。
第4話 ハニベ岩窟院
第4話は金沢から離れ、石川県小松市の話になります。
安宅関
勧進帳で有名な安宅関です。
山伏に変装した源義経、武蔵坊弁慶、そして関守の富樫の話をご存知の方も多いと思います。
三体の銅像から少し離れた場所が安宅関跡です。
浄瑠璃、歌舞伎などへ続く能の安宅。
金沢は謡が盛んです(でした)。謡を嗜んでいた父の謡本にも安宅があります。
ハニベ岩窟院
ハニベ岩窟院については、私がTwitterでフォローしている方(LLSS@natsunimukauさん)の呟きがありました。
撮り溜めした写真の中には1枚もありませんでしたので、40数年ぶりにハニベ岩窟院へ行ってきました。
長閑な山あいの巨大な仏像に驚く方も多いと思います。
1951年(昭和26年)、石切り場の跡に平和を願って開洞されたとあります。
洞窟と山道で靴が…。
こんな地図を貰えますので、ご自分の脚と相談して見学してください。
松葉屋
小松に行くと必ず松葉屋に寄ります。キャビンアテンダントがスチュワーデスと呼ばれていた時代に、「小松空港で買えるお土産」として、彼女たちの口コミで人気が出た「月よみ山路」を買います。
スッチーの口コミのお蔭で、今では全国の有名デパートで購入できますが…。
Column 3 金沢3文豪
金沢では、金沢出身の3人の作家(室生犀星・泉鏡花・徳田秋聲)を三文豪と呼んでいます。兼六園近くの白鳥路には三文豪像もあります。
金沢市内には、記念館や碑もありますので、文学好きの方は散策するのも良いかと…。
室生犀星
泉鏡花
徳田秋声
第5話 卯辰山子来坂
金沢は寺町台地、卯辰山、そして犀川、浅野川に挟まれた小立野台地の先端に金沢城があります。城の立地としては良いのですが、そのため金沢九十九坂とも言われるほど坂が多い町です。
子来坂
子来町緑地で、主人公の夏目花奈が「ここからの金沢の展望が好きなんです」と言っていますが、ここからだと東金沢方面の展望になります。
個人的には、料理旅館 山乃尾、または宝泉寺から浅野川方面を眺めるのが好きです。夏目花奈ちゃん、ごめんなさい。
七稲地藏
七稲地藏は、2010年に映画化された「武士の家計簿」にも登場します。


安政5年(1858年) の飢饉。飢えた人々が卯辰山に登り、「ひもじいわいやぁ~ 米くれまいやぁ~」と金沢城に向かって叫びました。首謀者5人は百坂の刑場で「刎首の上、梟首(さらし首)」になり、獄死した2人を加えた七人が七稲地藏として祀られ、現在は寿経寺に安置されています。
五木寛之さんの随筆にも七稲地藏が登場しますが、別の視点、“権威に屈しない金沢人、北陸人の反骨精神の象徴” としての登場です。
Column 4 金沢3坂
美術の小径
美術の小径は加賀藩の筆頭家老 本多家に関係します。
江戸時代に、加賀藩には加賀八家と呼ばれる知行1万石以上の大名クラスの家老が8人いました。
筆頭家老の本多家の禄高は5万石です。忠臣蔵で有名な浅野家の石高も5万石です。
本多家についても下記ブログで少し触れています。
藩主前田家を合わせて「加賀には9人の大名がいた」と言われるほどの禄高の家老たちです。
筆頭家老の本多家の5万石を現在の貨幣価値に直すと、約25億円(1石=1両=約5万円で換算)との試算があります。年収25億円。大名ではなく家老の年収です。加賀八家の他の家老も1万石以上ですから年収5億円以上です。
加賀藩 家老の禄高の大きさが分かると思います。
そんな家老の筆頭ですから屋敷も広大です。現在の「本多の森公園」(石川県立美術館や石川県立歴史博物館などの場所)辺りは加賀藩 本多家の上屋敷があった場所ですし、本多町との名が付いている場所を含め、崖下の「本多公園」辺りは本多家の中屋敷や下屋敷があった広大な場所です。
下屋敷に住んでいた本多家の家臣は、この「美術の小径」辺りの坂道を使って、毎日、上屋敷に出仕していたとのこと。
実際に坂を上ると、水に癒されますが、年寄りには疲れます。
現代人とは違い足腰はしっかりしていたでしょうが、毎日がこうだと大変だったろうな…。宮仕えはいつの世でも同じですね。
暗がり坂
暗がり坂は、主計町に通じています。
旦那衆が人目を忍んで花街「主計町茶屋街」や「ひがし茶屋街」へ通った暗がり坂です。
坂道の下には検番があります。運が良ければお座敷太鼓や三味の音が聞こえることもあります。
W坂
全国に点在する飴買い地蔵の言い伝えもある坂です。寺町台の西方寺には飴買い地蔵が祀られています。
W坂の途中には作家 井上靖さんの碑があります。小説「北の海」の一節で、W坂が登場します。
次へ続く
金沢シャッターガールPart 2、今回はここまでです。
桐木憲一さんの原作は金沢を詳細に巡っていますので、長くなりそうです。
ただ、他の内容のブログもありますので、次がPart 3とは限りません。悪しからず。