我が家のレコードたち
以前も書きましたが、私はジャンルに関係なく音楽を聴きます。
クラシックだけ、JAZZのみ、日本人なら演歌だろ、等々の聴き方はしていません。自分が良いと思う曲を聴いています。
hanspotter.hatenablog.com
そんな我が家には100枚ほどのレコードがあります。置き場に困り泣く泣く手放したレコードもありますが、どうしても手放せなかった思い出の多いレコードたちが手許に残っています。
プレーヤーを購入し、手放せなかった思い出のレコードを聴き直したり、PCに落としたりと。
100枚ほどの思い出のレコードの中に、高田渡さんの「ごあいさつ」と津軽三味線 高橋竹山さんのLPがあります。
高田渡
吉祥寺 ぐゎらん堂
高田渡さんの「ごあいさつ」購入の切っ掛けは、吉祥寺にあった “ぐゎらん堂” です。
当時、友人が西荻の善福寺公園近くに住んでいました。
出身地の金沢市に比べれば西荻窪も都会でしたが、当時の “三寺” (高円寺、吉祥寺、国分寺)の一つ、“ジョージ” こと吉祥寺が近いのでよく行きましたね。
井の頭公園のスワンボートの商用利用可フリー写真素材4201 | フォトック
東女(東京女子大)の前を通って2㎞くらいトコトコ歩いていきました。
最初のうちは井の頭公園でボートを漕いだり、サンロードで買い物したりしていましたが、“ぐゎらん堂” を見つけてからは “ぐゎらん堂” 目当てに吉祥寺へ行くようになりました。
“ぐゎらん堂” での高田渡さんに影響されて買ったのがLP「ごあいさつ」です。
ネットで検索すると “ぐゎらん堂” は東急百貨店近くの住所ですが、場所自体の記憶はあまり残っていません。目印となる東急百貨店の完成が1974年(昭和49年)ですから、私が行った頃は完成するかしないかの時期ですね。
航空写真では、井の頭公園の緑は最近の方が多いような…。


ごあいさつ イノダコーヒ
高田渡さんの「ごあいさつ」。先ず一曲目の歌詞からLPに引き込まれました。
アルバムの曲、全部にかなり影響されたと思います。
お蔭で、大阪に居た時期には京都のイノダコーヒへはよく行きましたね。
血糖値が高めの今でも、京都に寄るとここのコーヒーを飲んでいます。高田渡さんの歌詞が頭にあったため、「コーヒー」ではなく「コーヒ」だと知ったのは、通い始めてかなり経ってからでした。
高橋竹山
津軽三味線
手元にある高橋竹山さんのLP、「高橋竹山 津軽の心 -津軽三味線 名演集-」。
調べると1974年(昭和49年)発売のレコードで、高橋竹山さんの力強い太棹三味線の音色に感動して購入したLPです。
高橋竹山さんの名前を知ったのは何時だったろう………?
以前は新藤兼人監督の映画「竹山ひとり旅」を見てレコードを買ったと思い込んでいましたが、映画は1977年です。レコード発売の3年後でした。
1971年に青森放送が製作したドキュメンタリー「寒撥」が文化庁芸術祭賞 TVドキュメンタリー部門の優秀賞を受賞していますが、このドキュメンタリーに関しては全く記憶がありません。
映画「はなれ瞽女おりん」も記憶にありますが、この映画も1977年ですね。
う~ん、分からない・・・。
渋谷 ジァン・ジァン
悔しいので精一杯記憶を辿りました。高橋竹山さんは1973年以降、渋谷ジァン・ジァンでライブを行っていたようです。
ここで感銘を受けてレコードを買ったのに間違いはない………と思います。
https://ja-jp.facebook.com/tokyoyamatechurch/
渋谷ジァン・ジァンは本当によく通いました。渋谷の駅をハチ公側に出て、公園通りの緩やかな坂を歩いた教会の地下です。記憶が残っています。大学入学で上京した若造には新鮮な驚きを与えてくれる場所でした。
地図で見るとパルコ方向ですが、パルコは当時あったかな…?。
あの頃の渋谷にアンデッドは いなかった
渋谷は、生まれ故郷の金沢と比べれば勿論都会でしたが、新宿などに比較すれば今のような賑わいはなかったような気がします。また、現在のように小綺麗な若者たちもいなかったような…。若者の服装はもっと素朴でした。
長年東京に住んでいたせいか渋谷の変化にあまり気付きませんでしたが、今回、ネットで昔の渋谷の写真を見てビックリしました。
あの頃なら、渋谷スクランブル交差点でアンデッドとなった中島美嘉さんに襲われることもなかったでしょうね(笑)
レコードたちの思い出
たった二枚のレコードからこれだけの記憶が甦ります。
あぁ、レコードって良いな!!