LOS ANGELES NOVEMBER, 2019
2019年11月のロサンゼルス(LOS ANGELES NOVEMBER, 2019)を舞台とした映画「ブレードランナー」。
KANAZAWA DECEMBER, 2019
一ヵ月後の2019年12月の金沢市(KANAZAWA DECEMBER, 2019)でブログに取り上げて早や三年半。
「ブレードランナー、続きます。」と結んでから三年以上の月日が流れていました。
ツイッターでのやり取り
今月の中旬、よちかず(@yotikazu)さんとのツイッターでのやり取りで、有名な場面「二つで十分ですよ…」が妙に頭に。
昨日は連れと外出。
ランチでお腹がくちくなっていたので、カレーパークの横は素通り。
そのまま大和へ。
マグロ解体ショーのマグロと北海道展でドーナツetc.
帰ってドーナツを二つ食べたら苦しい😓
久しぶりに「二つで十分ですよ」を思い出した。
やはり益田喜頓さんに似ている🧐 pic.twitter.com/g2CtRvwm8f— Hans Potter (@Hans37339858) 2023年5月14日
早速、アマゾンのプライムビデオでファイナルカット(2007年版)を視聴しました。
ビデオデッキの時代から悪い癖があり、一度観た映画は、二度目以降は見たい場面まで早送りにすることが多く、今の若者のような倍速視聴どころか、飛ばし読みならぬ ”飛ばし見” が当たり前だった私です。
が、今回は真面目に通しで視聴。
因みに「ブレードランナー」は封切時に映画館で観ました。
ブレードランナー ファイナルカット
記憶どおりの綺麗な画が続きます。
ん?。記憶と相違する点もあり、これに関連してのブログを少し。
エンディング
ファイナルカットには、ファンの間で有名な ”ユニコーンの夢” のシーンが追加になっているのは知っていましたが、それよりエンディングが記憶と違うぞ。
今まで ”飛ばし見” で視聴していたツケか(笑)
遥か昔、封切を映画館で観た記憶では、エンドロールの前にデッカード(ハリソン・フォード)とレイチェル(ショーン・ヤング)が車で走っていたはず…。
ブレードランナー クロニクル
ということで「ブレードランナー クロニクル」をレンタル。
オリジナル劇場版(1982)、インターナショナル劇場版(1982)、ディレクターズカット/ブレードランナー 最終版(1992)、そしてリドリー・スコット監督の解説(コメント程度です)が収録されています。便利な世の中です。
エンディングを確認
やはり!
劇場版では、エンドロールの前にデッカード(ハリソン・フォード)とレイチェル(ショーン・ヤング)が車で走っています。
そして空撮へ。
シャイニングの空撮
空撮のシーンで話が飛びます。
エンドロール前の空撮シーンは、「シャイニング」の空撮シーンのフィルムから拝借したようです。
「シャイニング」の冒頭、ジャック・トランス(ジャック・ニコルソン)が、例のあのホテルへ面接に向かうシーン用に撮り溜めされた空撮です。
スタンリー・キューブリック監督から、「シャイニング」で未使用のカットを条件に使用許可が出たとのこと。
デッカード(ハリソン・フォード)の独白
デッカード(ハリソン・フォード)とレイチェル(ショーン・ヤング)の車のシーン。
デッカードの独白で、「レイチェルは特別で、他のレプリカントと違い、ガフ(Gaff:エドワード・ジェームズ・オルモス)が思っているような4年の限られた命ではない」ということが分かります。
所謂ハッピーエンド。「ブレードランナー2049」へ続くシーンですね。
メイキング・オブ・ブレードランナー
以前録画した2007年の「デンジャラス・デイズ/メイキング・オブ・ブレードランナー(DANGEROUS DAYS: MAKING BLADE RUNNER)」を並行して観ましたので色々細かいことが分かりました。
ハリソン・フォードのナレーション
リサーチ試写会の反応で、観客が内容を理解できなかったため、急遽、ハリソン・フォードの説明的なナレーションを入れる予定で作業を開始したようですが、ハリソン・フォードが反対したようです。
「映画から得られるはずだった喜びが台無しになった」と。
時代の先を行き過ぎた映画
観客が内容を理解できなかった理由として、「時代の先を行き過ぎたから、結果、観客は心の準備ができず ついていけなかった」とあります。
確かに、人々が思い描いていた(理想の)未来とは、かけ離れた内容の映画だったのでしょう。観客は理解できなかったのではなく、理解したくなかったのかも知れません。
尚、上の各シーンの字幕は、デッカード(ハリソン・フォード)やレイチェル(ショーン・ヤング)の発言ではありません。念のため。
漸く時代が追いついた
時代を先取りし(過ぎ)た=観客が内容を理解できない映画のため、当初の興行成績は振るわず、その後、ビデオ等で人気が上昇したそうです。
そんな映画を封切時に映画館で観た私は大したもの。
ハヤカワ文庫のSFで鍛えただけあります(笑)
その後続いているカルト的な人気を考えると、漸く時代が映画に追いついたんですね。
最後のアナログSF映画
「デンジャラス・デイズ/メイキング・オブ・ブレードランナー(DANGEROUS DAYS: MAKING BLADE RUNNER)」の中で、「最後のアナログSF映画」という言葉が出てきますが、CG技術は未発達の時代です。
また、低予算だったので、使い回された安っぽいオープンセットでの撮影や、実在の建物を夜間のみ借りての撮影を余儀なくされ、スモーク、雨、夜などの薄暗いシーンを多用して誤魔化したのは納得。
偶々映画の設定とはマッチしていますが、その結果、暗い画面、暗い印象となり、これも観客が理解できなかった、理解したくなかった遠因でしょう。
観直して気付いたこと
今回観直して気付いたことがあります。
前の妻に寿司と言われている
劇場公開版では、屋台の場面でハリソン・フォードの独白が入っています。
”前の妻に寿司と言われていた。冷たい男、と(Sushi. That's what my ex-wife called me. Cold fish.)
(出典:映画の台詞)”
これは憶えていなかったな。
自宅のアパートの様子では今は独身ですね。
Philip K. Dick(フィリップ・K・デック)の原作「Do Androids Dream of Electric Sheep?(アンドロイドは電気羊の夢を見るか?)」では奥さんがいます。
能天気そうな呑兵衛
デッカードが座る前、屋台で急須だか薬缶で酒を注いでいる、振る舞いが能天気そうな客がいます。
全く記憶になし。
中棒が光る傘
こんな傘があれば夜安全だし、欲しかったな。
良いアイデアだと思ったけれど、商品化されたんだろうか…。
ユニコーンの夢
ディレクターズカット/ブレードランナー 最終版(1992)から、デッカードの「ユニコーンの夢」のシーンが登場します。
リドリー・スコット監督が周囲の反対を押し切って追加したシーンだそうで、監督自身が「デッカードがレプリであることを示唆する」と解説しています。
ディレクターズカット版が、今でもファンの間で喧しいデッカード=レプリカント説の始まりですね。
最後のデッカードのアパートの前で、ガフ(エドワード・ジェームズ・オルモス)の作ったユニコーンの折り紙が落ちているシーンへもつながります。
また、「ブレードランナー 2049」の “木馬の記憶” へも…。
唐突にグレン・グールド
話が逸れますが、「ユニコーンの夢」のシーンで、デッカードが鍵盤を触っている画。
私が所有している、グレン・グールドのレコード「バッハ:フーガの技法」のジャケットと、左右反転すれば絵面が似ています、と自己満足。
ヴァンゲリス
個人的には映画音楽しか知りません。
本作「ブレードランナー」、
「炎のランナー」、
そして「南極物語」。
Tears in Rain
最後になりますが、レプリカントのリーダー ロイ役のルトガー・ハウアーが考案した名セリフ ”雨の中の涙 Tears in Rain”。
あの ”…タンホイザーゲート…(…Tannhäuser Gate…)” から続くセリフです。
”そういう思い出も やがて消える…時が来れば… 雨の中の涙のように…
(All those moments will be lost in time, like tears in rain. )
(出典:映画の台詞)”
ロイは微笑んで絶命します。そして大切に抱えていた ハトが空へ…。
やはり良いな。
追記
原作者のフィリップ・K・デックは映画公開(1982年6月)直前の1982年3月に53歳で急逝します。
「デンジャラス・デイズ/メイキング・オブ・ブレードランナー(DANGEROUS DAYS: MAKING BLADE RUNNER)」に拠ると、試写を観て、とても感動したようです。
”私の頭の中を覗いたのか? 小説を書いた時に想像したとおりの映像だ” と。
「ブレードランナー」。思い入れがある分長くなりました。