サイモン・セッズ
1910フルーツガム・カンパニー
唐突に、1910フルーツガム・カンパニー(1910 Fruitgum Company)の「サイモン・セッズ(Simon Says)」が頭の中を駆け巡りました。
アニメのワンシーン
先週だったか、ながら見していたアニメのワンシーンが刷り込まれていたようです。
サブリミナル!?
<物語>シリーズ
一大ブームとなった「鬼滅の刃」の製作会社、アニプレックスのアニメ、「<物語>シリーズ」のこのシーンです。
アニプレックス
「鬼滅の刃」を始め「NARUTO」、「るろうに剣心」など、ご存知の方も多いのでは。その会社のアニメです。
知人にアニメ好きがいるので、アニメ関係の情報は割と入ってきます。
1967年
話を戻します。
先ほどの「サイモン・セッズ(Simon Says)」は1967年(昭和42年)の曲です。
1967年。
その当時の私は「スタンド・バイ・ミー」のゴーディのような少年時代でもないし、
「アメリカン・グラフィティ」のカートやスティーヴの年代でもない、
中途半端な年齢の頃です。
1967年にあったこと
Where were you in '67?
アメリカン・グラフィティのキャッチコピーは「1962年の夏、あなたはどこにいましたか?(Where were you in '62?)」ですが、「'62」を「'67」に置き換えて.1967年への旅のスタートです。
私は勿論生まれ故郷の金沢に居ました。
リカちゃん人形、森永製菓のチョコボール、東洋工業(現在のマツダ)のロータリーエンジン車「コスモ」、資生堂のMG5、プロレスのリング掃除で有名な三菱電機の電気掃除機「風神」等々が発売された年です。
「オールナイトニッポン」の放送が開始され、ツイッギーが来日してミニスカがブームとなり、阪急北千里駅に日本初の自動改札機が設置された年です。
アメリカで第1回スーパーボウルが開催されたのも1967年。意外と新しいんですね。
川端康成、石川淳、安部公房、三島由紀夫らが文化大革命に対する抗議声明発表。
これは知らなかったなぁ。まだ中途半端な年齢の私でした。
わが家に残る1967年
卒業
1967年の映画「卒業」のプログラムがLPレコードの間に挟まっていましたが、映画を観たのは封切と同時進行ではないと思います。
LPレコードのほかに、レコードのシングル盤が出てきました。小遣い銭を貯めて購入したものです。
この中に何かあるかな…。
ビートルズ来日 前座にはドリフターズも
話が少し飛びます。
前年の1966年にビートルズが来日しました。
公演の前座にはブルーコメッツや内田裕也、そしてドリフターズも。動画の3分20秒あたりに登場します。長さんほかお若い!
話を戻します。
後々の音楽に多大な影響を与えたと言われるビートルズのLP「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は1967年発売ですが、当時の私の財布の中身を考えるとLP購入は…。これも同時進行じゃない……なぁ。
シングル盤の「ヘイ・ジュード」は1968年か。
モンキーズ
言葉は悪いですが寄せ集めの、作られたバンドです。でも人気がありましたネ。
今でも好きな「デイドリーム・ビリーバー」も買った記憶がありますが見当たりません。当時はレコードの貸し借りが当たり前でしたから、ヒョットして・・・。
忌野清志郎で
手許に残っているほかのシングル盤も1967年です。
花のサンフランシスコ
スコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」がありました。どこに消えたのか、カバーは残っていません。1967年発売です。
フラワーチルドレン。「武器ではなく、花を」。流行ったな。
ヘルメット暴動(Hard Hat Riot)
また話が飛びます。
1960年代に黄金時代を迎えたアメリカ。同時に1960年代に開始された米軍のベトナム派遣は暗い影を落とし、ベトナム戦争政策への支持派とフラワーチルドレンなどを中心とする反戦派の対立を招き、長髪の若者をターゲットとした1970年のヘルメット暴動(Hard Hat Riot)へと…。
4月24日に放送されたNHKBSプレミアムの ”世界サブカルチャー史 欲望の系譜「アメリカ 幻想の70s」” は興味深く拝見しました。
1967年の音楽
洋楽
いつも心に太陽を
この年のビルボード年間チャートの1位はルルの「いつも心に太陽を」。原題「To Sir,
With Love」。シドニー・ポワチエが主演した同名映画の主題歌です。
映画も観ました。
ビリー・ジョーの唄
3位にはボビー・ジェントリーの 「ビリー・ジョーの唄」。独特の曲でした。
他の洋楽
他の洋楽、と言っても甲乙つけがたい曲が目白押しです。
ビートルズ、ローリングストーンズ、ボブ・ディランは当然、ヴァニラ・ファッジ 「ユー・キープ・ミー・ハンギン・オン」、
プロコル・ハルム 「青い影」、
アレサ・フランクリン、ドアーズ、クリームがあるかと思えば、
バッファロー・スプリングフィールド 「フォー・ホワット・イッツ・ワース」、
ジェファーソン・エアプレイン 「あなただけを」、エンゲルベルト・フンパーディンクやトム・ジョーンズ。そう言えばテレビで、トム・ジョーンズショーとエンゲルベルト・フンパーディンクショーが隔週で放送されていました。
そして、フランク・シナトラとナンシー・シナトラ 「恋のひとこと」。
個人的には、「恋のひとこと」は竹内まりやと大瀧詠一バージョンが好きです。
グレン・キャンベルやビージーズのヒット曲もありました。過去にブログで取り上げたことがあります。
いろんなジャンルの曲が混在していますが、ほとんど知っている曲です。
深夜放送「オールナイトニッポン」のお蔭かな。
今でも音楽はジャンルを問わずに聴いていますが、この頃が私の原点かもしれません。
hanspotter.hatenablog.com
日本のヒット曲
GS
邦楽も、今でも唄える曲が目白押しです。
「夜霧よ今夜も有難う」は今でもカラオケで選曲することがあります。「真赤な太陽」では当時30歳の美空ひばりのミニスカートが記憶に残っています。「帰って来たヨッパライ」、「虹色の湖」、「小指の想い出」etc.
大ヒットの「世界の国からこんにちは」。大阪万博の3年前です。
目移りするので端折ります。
当時はGS(グループサウンズです。ガソリンスタンドではありません)が大流行していたころです。GSで思い出す曲も山ほどあります。
財布と相談した結果、GSのレコード購入はなし。後々懐かしくなって何枚かベスト盤を買いました。
加山雄三
一世を風靡した加山雄三。日本中で鼻の横をこすり「幸せだなー」。
シングル盤では「君といつまでも」は1965年、「お嫁においで」と「蒼い星くず」が1966年でした。
1967年ごろには、生意気にも歌謡曲っぽくなったと思い始めていました。
反戦フォーク
この頃から、1970年代にかけて岡林信康、高田渡、遠藤賢司などの反戦フォークを耳にすることが多くなりました。
高田渡のLPレコード。1967年ではありませんが。
ボブ・ディラン
ボブ・ディランの曲も浸透してきました。LPの間に挟まっていたボブ・ディランの特集記事。日付は昭和51年11月ですから1976年。かなり後になってからのものですが。
レコードの数が少ない
これは小遣いが足りずテープに録音していたからです。学校でFM放送は音が良い、などと話し合っていました。
大好きな曲を録音している途中でDJが喋りだし、怒り心頭(笑)
カセットテープだけでなく、オープンリールのテープも残っていました。父親のテープレコーダーを借りて録音していたのでしょう。
最後に
最後に1967年亡くなられた方々(私が存じ上げている範囲です)。
コダーイ・ゾルターン
音楽で有名ですが、「未知との遭遇」でも使われたハンドサインの考案者としても有名ですね。
ジョン・コルトレーン
言わずと知れたジョン・コルトレーン。
ウディ・ガスリー
この有名な曲は彼の作品です。
オーティス・レディング
「 (Sittin' on) The Dock of the Bay」。
今日はアニメのワンシーンから思い出した取り留めのない話でした。