個人的な思い出、かつ、とてもローカルな題材のブログですが、お付き合いください。
映画「小さいおうち」
小さいおうち
録画してあったBSシネマの「小さいおうち」を観ました。
2014年に公開された山田洋二監督の作品です。
黒木華さん
山田洋二監督に「日本一割烹着の似合う女優」と言わしめた黒木華さんが出演しています。
この映画で第64回ベルリン国際映画祭銀熊賞 (女優賞)と、第38回日本アカデミー賞 最優秀助演女優賞を受賞しています。
日本的な容貌が印象に残っていた女優さんですが、恥ずかしながら一年近く名前の読み方を間違って覚えていました(正→クロキ ハル、誤→クロキ ハナ)。
今回は黒木華さんや映画の内容ではありません。ここから本題へと。
柴垣海岸
「小さいおうち」のシーン
映画「小さいおうち」の最後の方で、米倉斉加年さんと妻夫木聡さんたちが歩いている海岸に見覚えがあります。
石川県羽咋市の柴垣海岸です。
柴垣海岸
ここです。
幼い頃の海水浴の記憶
柴垣海水浴場
幼い頃、父との海水浴と言えば柴垣でした。海水浴の思い出は100%柴垣です。
直線距離でも金沢駅から43㎞弱。当時の交通事情を考えれば小旅行、一日がかりだったと思います。帰りには、疲れ切った子供(=私)は眠っていたでしょう。
幼い頃ですから極めて曖昧な記憶ですが、海水浴場への往復は電車ではなく蒸気機関車(SL)でした。「トンネルや」の声が何処からともなくかかり、乗客が一斉に窓を閉めていた記憶が…。しかし、このトンネルの記憶が海水浴のときのものなのかは自信がありません。
(注:若い方には馴染みがないと思うので少し説明を。当時の客車は窓の開閉が可能でした。冷房車などありませんので、夏場は窓を開けていました。トンネルに入ると蒸気機関車の煙が窓から室内に流れ込みます。それを防ぐために一斉に窓を閉めていました。)
帰りには疲れ切った私は父親の大きな背中にオンブされて・・・。
柴垣駅
1961年の映画「ゼロの焦点」に登場する三明駅も北陸鉄道能登線の駅です。
「ゼロの焦点」では、主人公が国鉄の羽咋駅で北陸鉄道能登線に乗り換えていました。
「ゼロの焦点」のルートでは、国鉄(現在のJR)金沢駅で乗車⇒国鉄七尾線 羽咋駅で北陸鉄道能登線に乗り換え。
乗り換えが必要です。幼児連れだと大変だなぁ、と自分の記憶に少し不安が。
更には、この映画では蒸気機関車ではなく気動車、ディーゼル機関車のようですね。
記憶が違っているのかと思っているときに下記のブログを見つけました。
蒸気機関車です。少なくとも、蒸気機関車の記憶は合っていたようです。
当時は海水浴シーズンに、金沢からの直通便があったようですね。
金沢近くの海水浴場
金沢市の近くには、地元の私鉄電車で行ける海水浴場(内灘の粟ヶ崎海水浴場)があります。
近年、夜遅くまでのどんちゃん騒ぎなどで苦情が殺到し、一昨年訪れた時には浜茶屋はゴーストタウン状態でしたが。
海水浴場までの距離
まだ幼い私を連れた海水浴。
直線距離で金沢駅から7,8㎞の内灘の海水浴場が、直線距離で金沢駅から43㎞弱の柴垣より近くて楽だったはずです。
下の地図を見てください。
金沢から柴垣。直線距離だと、お隣の県の富山市近くまで行ける距離です。
海水浴から分かった父の愛情
内灘の海水浴場
何故、近くの内灘の海水浴場じゃなかったのか?
父に連れられて海水浴に行っていた頃には内灘闘争(アメリカ軍の試射場反対運動)はとっくに終了しています。
今でも当時の米軍試射場跡(射撃指揮所跡)が海水浴場に残っています。
ではどうしてだろう…。
今では環境省の「快水浴場百選」にも入っている内灘の海水浴場ですよ。
近くの海水浴場を避けた理由(推測)
私の幼い頃は、トイレはポットン便所(汲み取り式便所)が当たり前でした。
昭和38年の大雪、「38豪雪」の時は、バキュームカー(し尿の汲み取り車)が路地に入れず、日に日にお尻の下に迫ってくるし尿にドキドキしたものです。
金沢ではありませんが、同じ石川県の高松の「38豪雪」時の映像です。
生活排水は川へ、そして海へと
トイレがポットン便所(汲み取り式便所)の時代です。生活排水は川経由で海へ流れ込んでいた時代です。
河北潟からの川が内灘の海水浴場のすぐ近くへ流れ込んでいます。その河北潟へは、人口密集地の金沢市街地を流れる浅野川、金腐川、森本川などが流れ込んでいました。
当時の地図です。
http://ktgis.net/kjmapw/index.html
もちろん柴垣海岸へも生活排水は流れ込んでいたでしょうが、周囲の人口が違います。
河川の水質
金沢の下水道整備は昭和37年度に着手。最初の水質管理センターの供用開始が昭和44年ですから、昭和40年以降に本格化したようです。
金沢を挟んで流れる犀川、浅野川で、鮎が生息できるBOD値(生物化学的酸素要求量)となったのは、平成も半ばを過ぎた頃。
私の幼少時の汚染度合いは、推して知るべし、です。
https://www2.city.kanazawa.ishikawa.jp/wp-content/uploads/2018/03/kanazawanogesuidou.pdf
父の愛情(想い出はモノクローム)
以上、あくまで推測ですが、父の性格から判断して、ほぼ間違いはないと思います。
遠くても水質の良い海水浴場を選んだ父に今更ながら感謝です。
父が亡くなった今では「想い出はモノクローム」。
「色を付けてくれ」。