一ヵ月ほど前のブログで1967年の音楽などを扱いました。
その時にレコードのシングル盤や古い雑誌の切り抜きなどを見つけました。
白いブランコ
ビリー・バンバンのサイン
その中の一つ、ビリー・バンバンのサインです。年月を経て薄汚れていますが、ヒット曲「白いブランコ」の楽譜にサインしてあります。
1969年(昭和44年)
日付は1969年9月12日。前回のブログの2年後、昭和44年です。
「白いブランコ」の発売は1969年ですから、ヒットした年の地方巡り。
サインの下の方に「ミドリーヌ」との記載がありますが、この年の10月に発売予定の新曲の宣伝を兼ねた地方巡業ですね。どんな曲かは知りません。
JASRAC
この楽譜、右下にJASRAC(日本音楽著作権協会)の許諾証紙が “貼って” あります。今では印刷が殆どでしょうが、貼付となると手間暇が・・・。
せんだみつお
それは置いといて、今回ブログを書くにあたって驚いたのは、兄弟二人組になる前のビリー・バンバンには、パーカッション担当として中野光雄さん(後のせんだみつお さん)が在籍していたそうです。
せんだみつお さん・・・。
さよならをするために
次に名前を聞いたのは、テレビドラマ「3丁目4番地」の主題歌「さよならをするために」です。
ここで再度驚いたのは、この曲がビリー・バンバンのオリジナルではなかったことです(作詞が石坂浩二さん、作曲が坂田晃一さん)。
いいちこ
白いブランコで甦る懐かしい金沢の風景
さて、話を本題に戻して当時の記憶を辿ります。
ミニコンサート
遠~い記憶を辿ると、金沢市内の真中を走る国道8号線(現在の国道157号線)。その南町交差点を富士銀行(現在のみずほ銀行)と北陸銀行を背にして緩やかな坂道を下って行くと、道路左手にプールがあり、そのプールサイドでビリー・バンバンのミニコンサート(確か地元ラジオの番組の中で)があったと思います。プールの近くにボウリング場もあったような…。
三谷産業
上の地図、航空写真を拡大します。
確かにプールらしき青い影が写っています。
現在の三谷産業の場所です。
同社のHPの沿革では、1973年12月に
“株式会社金沢スタジアムを吸収合併、金沢市玉川町に本社、電子計算機事業部(現情報システム事業部)および金沢支店を移転”
(出典:三谷産業株式会社 HP)
とありますから記憶に間違いはないと思います。
航空写真を拡大
航空写真をさらに拡大して建物名などを付記しました。
現在は玉川図書館や玉川公園になっている専売公社の工場、跡地に金沢市文化ホールが建っている高岡町中学校などが写っています。
50年以上前の年寄りの記憶です。違っているよ、という場合は教えてください。
現在の同じ付近のGoogle mapです。
これから、当時の記憶を辿って更に金沢巡りをする予定でしたが、孫が泊りがけで遊びに来ましたので今回はここまで。
次の機会に…。