吉田拓郎のLIVE放映
6月27日の夕方、「吉田拓郎 LIVE 2019 -Live 73 years- in Nagoya」が放送されていました。
氷室万頭を食べながら録画を見ています。
昔のプログラム
前々回のブログで1967年の音楽などを取り上げました。
その時に、家の中からレコードのシングル盤や古い雑誌の切り抜きなどが出てきました。
その中に吉田拓郎に関係したものがあった筈…確か。
うたの市 唄の市
プログラム? チラシ?
あった。金沢市観光会館(現在の金沢歌劇座)で催されたコンサートのプログラム? チラシ? です。
プログラムといっても、横257㎜、縦546㎜の紙を三つ折りにし、一頁あたり横257㎜、縦182㎜の簡単なものです。B4サイズが257㎜×364㎜ですから、B4サイズの1.5倍かな。
こんな表と裏面です。
写真で伝わるかどうか分かりませんがチープな印刷です。
モード中山、山蓄、開進堂楽器。広告を掲載している店には懐かしい名前も。
出演メンバー
「唄の市」。コンサートの日付は、昭和47年(1972年)1月28日。
記憶どおり、出演者に吉田拓郎の名前がありました。
ほかにも、古井戸、六文銭、地元バンド。これで500円!
それから5年後、同じ金沢市観光会館(現在の金沢歌劇座)で催されたウィーンフィルのチケットは12,000円。
比較対象が違うと言えば違いますが・・・。
当時の地元バンドの記憶
地元金沢のバンド「ウィーズ」。プログラムに載っている金沢FOB企画の小杉さんや上田さんは「ウィーズ」のメンバーじゃなかったかな。
当時の石川のバンドでは、「ウィーズ」と、このコンサートには出演していませんが小松の「めんたんぴん」というロックバンドを記憶しています。
当時のコンサート会場
1972年当時、コンサートと言えば金沢市観光会館(現在の金沢歌劇座)か北國新聞横の北国講堂でした。
金沢市観光会館(現在の金沢歌劇座)
移転が取り沙汰されている金沢市観光会館(現在の金沢歌劇座)。
金沢市民の鑑賞、観劇の場、そして自ら舞台に立った方も多いと思います。
北国講堂
北國新聞横の坂道の途中にありました。
北國新聞の社屋の左側の緩い坂道を下る途中、この辺だったかな。
石川県立音楽堂
金沢駅前の石川県立音楽堂は勿論ありません。
石川厚生年金会館(現在の本多の森ホール)
石川厚生年金会館(現在の本多の森ホール)はまだ兼六園野球場のころでした。
近くに昭和22年10月の竣工碑が残っています。
兼六園野球場付近の1973年の航空写真です。地図の上段は当時の施設名。()内は現在の施設名です。
金沢美術工芸大学は前年に移転しています。金沢女子短期大学(現在の金沢学院大学)は移転準備中ですね。
航空写真の②と③の歩道前には、それぞれの記念碑が建っています。
昭和43年(1968年)の同じ場所の地図も参考までに。
高校時代には、兼六園野球場まで応援に行ったものです。左翼後方に病院の建物があり、♫かっせー、かっせー、〇〇までー♬と。
石川厚生年金会館(現在の本多の森ホール)は野球場のアールを活かした黒川紀章さんの設計です。上から見ると分かりやすいですね。
思い出を辿っていたら、肝心の出演者に言及する前に字数が多くなりました。
次回は出演者を中心とする予定ですが・・・。