コンサートのプログラム
太田裕美さんのコンサート
1978年(昭和53年)8月16日に、金沢市の石川厚生年金会館(現在の本多の森ホール)で催された、太田裕美さんのコンサートプログラムが出てきました。
父に感謝
以前のブログに書きましたが、家の中からレコードのシングル盤や古い雑誌の切り抜きなどが出てきました。亡くなった父が保存してくれていたものです。父に感謝。
プログラム
二ヵ月前のブログに登場したような安っぽいものではなく、表紙、裏表紙を含めると64ページもあるA4版の立派なプログラムです。
流石、主催が慶應義塾大学石川県学生会だけあります。
広告には懐かしい企業名も
交通遺児チャリティと銘打ったコンサートで、64ページ中36ページ相当が地元の協賛企業の広告、そして主催の慶応義塾大学関連が11ページ相当を占めています。
プログラムに沿って内容を紹介していきますが、大部分のページに広告が掲載されています。
金沢の方だと、掲載された広告に懐かしい企業名などを見つけることが出来ると思います。
コンサート
コンサートの概要
プログラムの表紙には、「KEIO CHARITY FESTIVAL WITH HIROMI OHTA(慶應チャリティフェスティバル 太田裕美と共に)」の文字が。交通遺児チャリティです。
昭和44年を最初にこの年で10回目のようです。
坂本九さんが第一回目。他にはベッツイ&クリス、ガロ、ペドロ&カプリシャス等々。この当時を知っている方だとお分かりになると思いますが、中々の顔ぶれです。
この中でダークダックスが二度出演しているのは、全員慶應義塾出身だからでしょう。
そして10回目の1978年(昭和53年)8月16日は、太田裕美さんです。
コンサート会場
コンサート会場の石川厚生年金会館(現在の本多の森ホール)は、コンサート前年の1977年(昭和52年)5月1日に完成したばかり。
兼六園野球場の跡地に、球場のアールを活かした黒川紀章さんの設計です。
プログラム
太田裕美・プログラム
慶應義塾の塾長挨拶から始まり、


石川県三田会会長、慶應義塾大学石川県学生会代表の挨拶のページが続いた後「太田裕美・プログラム」が見開きで現れます。


作詞が松本隆さん、作曲は筒美京平さんの曲が並んでいる間に、太田裕美さん自作の曲も入っています。
木綿のハンカチーフ 作詞:松本隆、作曲:筒美京平の黄金コンビ
ん? あの曲がない…!? と思ったら次ページにありました。
「トリ」です。
1975年(といっても12月)リリース。
作詞が松本隆さん、作曲は筒美京平さんの黄金コンビのヒット曲、「木綿のハンカチーフ」です。
故郷を離れた学生や社会人。
松本隆さんの歌詞に自分を重ね合わせた方は多いと思います。私もその一人で、とても印象に残っている曲です。
太田裕美・プロフィール
デビュー四年目、「木綿のハンカチーフ」のヒットから三年目の太田裕美さんのプロフィール紹介です。
初々しい写真とサイン。次にプロフィール。
当時のプロフィールに沿って進めます。
好きなスター
アラン・ドロン。私の年齢でも、1960年の「太陽がいっぱい」はビデオです。
「D’urban, c’est l’élégance de l’homme moderne.」のCMは格好良かったですね。
好きな歌手
森山良子、井上陽水、ビートルズ、エルトンジョン、ロバータフラック、ジョージベンソン、スティーヴィー・ワンダー…。
勿論、全部知っていますし、聴いたこともあります。そしてレコードも何枚か。




愛読書
映画もヒットしましたし、観ました。
1973年の「ジャッカルの日」。
フランスのド・ゴール大統領をターゲットとした暗殺計画と、それを阻止しようとする側の攻防。
1974年の「オデッサ・ファイル」。
主演はアンジェリーナ・ジョリーのお父さん、ジョン・ヴォイト。
彼を最初に観たのは「真夜中のカーボーイ」でした。
サイズ
プロフィールには、身長、体重は勿論、スリーサイズから靴のサイズまで。
時代が違います。
太田裕美・レコードリスト 黄金コンビの作詞・作曲
先ず、太田裕美さんの写真です。
写真の次のページが当時のレコードリスト。
作詞が松本隆さん、作曲は筒美京平さん。黄金コンビの曲がズラリと並んでいます。
このリストでは「失恋魔術師」の作曲だけは吉田拓郎さんです。
協賛企業の広告
広告で甦る金沢の思い出
ここからは、広告掲載企業絡みの当時の金沢の思い出が続きます。
広告のサイズは1頁、1/2頁・・・1/8頁。
喫茶ヒルトン
表紙を捲って最初に載っているのは「喫茶ヒルトン」の1頁広告です。
チケットの裏面にも広告を出していますので、かなりの広告代ですね。
所在地は金沢ビル地下道と金沢ビルB3の二段書き。
当時の住宅地図を見ると、確かにヒルトン、ニューヒルトンが載っています。
金沢ビル。2017年3月末で営業を終了した、旧金沢都ホテルのビルです。
今では金沢駅正面で更地となっています。
喫茶ヒルトン。実は私は利用した記憶がありません。このビルでで利用したことがある喫茶店は、確かティーランドだった………筈。
今では地下街は無いに等しい金沢駅ですが、当時はロキシーなどの映画館を初め、駅と駅前のビルとが地下で繋がっていたので結構賑やかでした。
自動車ディーラー
この会社名は今では存在しません。それより、広告に掲載されている自動車のスタイル。
43年前です。
サンテラス・ユニー
サンテラス・ユニー。現在のアピタ金沢店です。
モデルの女性の髪形や化粧などに時代を感じますが、広告に掲載されている建物の写真。今もこの建物のような…。
大和
裏表紙は、地元のデパート、大和百貨店の1頁広告です。
この当時は、地元金沢の本店のほか、新潟県に三店舗(新潟店、長岡店、上越店)、富山県に二店舗(富山店、高岡店)の六店舗を有し、地方百貨店の雄とまで言われていました。
リーマンショック後、競争激化で収益が悪化し、2010年には新潟県の三店舗(新潟店、長岡店、上越店)と石川県の小松店(1998年に出店した店舗)の計四店舗を閉鎖。更に2019年に富山県の高岡店も閉鎖し、香林坊店(本店)と富山店の二店舗としました。
大和デパートに限らず、地方デパートの閉店や大手デパートの撤退が相次いでいるようです。
百貨店が消えた街も増えています。Wikiで確認を。
喫茶店
見開きで喫茶店を中心とした地図がありました。協賛企業ですね。
茶房 犀せい、グラスホッパー、禁煙室など懐かしい名前があります。
ただ、金沢を離れてかなりの年数が経過した頃なので、私の知らない名前もチラホラと。
もっきりや、VIE VOGUE(ヴィヴォーグ)、ヨーク
コンサートの何年か前まで、帰省時に通っていた、もっきりや、VIE VOGUE(ヴィヴォーグ)、そして片町の牡丹堂のあったビルの2Fにあったヨークなどが載っていないのはやや寂しい。
エスカルゴ
因みに、牡丹堂カメラのあったビルの地下にはエスカルゴというバーテンさんだけのバーがあり、ここでウイスキーの種類や様々なカクテルを教えてもらいました。カウンターにはバーの歴史を物語る大きな、とても大きな蝋燭がありましたね。
純喫茶ぼたんと狸茶屋?グリル狸?
この地図の中で個人的に思い出があるのが、純喫茶ぼたんです。
父に連れられて行った記憶がありますから、小学生の頃かな。純喫茶ですから小学生でもセーフでしょう。
金沢へ帰ってきて知りましたが、ぼたんは閉店してポプラというコンビニになっていました。そのポプラも昨年(2020年)閉店。
また、純喫茶ぼたんの真後ろはグリル狸だったか狸茶屋だったか。この店も父に連れられて行きました。美味しかった思い出が。
現在では小立野にあるグリルニュー狸がその味を引き継いでいるとのこと。
最後に
広告が掲載されているページをもっと載せれば、いろんな思い出が甦る方も多いと思いますが、字数も増えました。ここらで。