プールの取り壊し
地元紙に金沢市営総合プールの取り壊しに関して、“さらば 飛び込み台” と題した記事が載っていました。12月の中旬以降、いよいよ飛び込み台の取り壊しが始まるようです。
近くに用事があったので帰り道に寄りました。
プールの姿は既に無く、飛び込み台だけが数多の重機と瓦礫を従えて凛として聳えています。
映画「ダイブ!!」
国内最古の飛び込み台
金沢市の南部に位置する金沢市営総合プールの飛び込み台は、現存するものでは国内最古の飛び込み台と言われていました。2008年の映画「ダイブ!!」のロケにも使われています。
(この動画では、開始後15秒あたりから金沢市営総合プールの飛び込み台が登場します。)
原作は森絵都さんの小説
直木賞作家、森絵都さんの小説「DIVE!!」を映画化したもので、林遣都さん、溝端淳平さん、瀬戸朝香さんたちが出演していました。飛び込み台と同じ高さからカメラをパンした映像に、プール近辺の病院など知っている風景が映っていたのを覚えています。
プールの営業終了にあたって、溝端淳平さんがコメントを寄せてくれたそうです。
映画「ダイブ!!」は金沢でロケが行われました。ロケ地については別のブログで。
プールの思い出
小学生時代の夏休み
平成29年3月末での閉鎖は知っていましたが、プールのドアにあった営業終了の貼紙を見て寂しくなったことを思い出しました。
1959年(昭和34年)8月のオープンだそうです。小学生時代の夏休み、週に何度も通った記憶があります。
プールと陸上競技場の間の道路は、今では整備されて多くの車が行き交っていますが、当時は田圃の真中のガタガタ道でした。
肥溜め(野壺)のある畑も多く、ふざけていて肥溜めに落ちた可哀想な奴もいましたね。
1962年(昭和37年)の航空写真
https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1
航空写真の左上、縦長の楕円形が陸上競技場(航空写真❷)で、その下に縦長の50mプールと飛び込み用のプールが写っています(航空写真❶)。
写真の右側中央辺りに四角く写っているのが金沢泉丘高校の校舎とグラウンド(航空写真❸)です。出来たばかりの円光寺住宅(航空写真⓫)が写真の右側下部に見えます。
1962年(昭和37年)当時、プールと陸上競技場前は細い道で、総合体育館(航空写真❽の場所。未だありません)方面へは繋がっていません。現在の長坂有松線は未開通です。記憶は正しかったようです。
それどころか、有松交差点(航空写真❹)を真っ直ぐ抜けて、金沢中心部と高尾方面を結んでいるはずの有松高尾線(県道22号。1981年の完成だそうです)は影も形もありません。1964年に新築移転した金沢錦丘高へ行くには、円光寺経由のバスを山科で降りての徒歩だったそうです。金沢赤十字病院(1969年に新築移転)へ行くのも、三馬経由のバスか円光寺経由のバスの利用だったようです。
現在有松を通っている国道157号線は旧国道8号線でした。有松近辺は南端国道として整備された ”南端” 、金沢の ”南” の ”端” だった時代です。
プール近くには金沢泉丘高校(航空写真❸)、それと石川県内で初めて大型住宅団地として造成された円光寺住宅(航空写真⓫)が目立つ程度で、発展途上の地域でした。
プールへ行くためには、有松経由か寺町の大櫻経由のバスに乗り、市営グランド口(航空写真❺)か泉野出町(航空写真❻)のバス停で降りていたような…。現在はこのバス停は二つともありません。
1975年(昭和50年)の航空写真
昭和50年になっても長坂有松線と有松高尾線は未完成のようです。
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写真の左側、縦長の楕円形が陸上競技場(航空写真❷)で、その下に縦長の50mプールと飛び込み用のプール(航空写真❶)が緑色や青色に写っています。写真の右側、やや下の方に四角く写っているのが金沢泉丘高校のグラウンド(航空写真❸)です。
総合体育館の場所(航空写真❽)は北鉄自動車学校です。前を通る長坂有松線の工事は進んでいるようですが、プール方面へは未開通…かな。
有松交差点(航空写真❹)から南(地図の下方)へ走っているはずの有松高尾線(県道22号)は、1981年の完成ですから未だありません。
航空写真❿の場所に、1966年(昭和41年)に完成した金沢南郵便局が見えます。泉野図書館の場所(航空写真❾)には、確か国鉄だったと思いますが、官舎が建っています。
2007年(平成19年)の航空写真
下の平成19年の航空写真では、現在とほぼ同じ姿になっています。
昭和37年、昭和50年、そして平成19年の航空写真を見ると変遷がよく分かります。
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しょんべんプールと飛び込み台
子供用の25mプールもありましたが、同級生たちと ”しょんべんプール” と命名して使用せず、生意気にも競泳用のプールで泳いでいました。
耳栓なぞという洒落たものはなく、耳に唾を入れていました。耳に水が入ったときには、誰に聞くでもなくプールサイドの熱いコンクリートに耳を押し当てていました。耳からジュワッーと水が出た記憶があります。
小学生だった私には飛び板飛び込みの人が憧れでした。高飛び込みの人は雲の上の人、スーパーマンでした。
消え行く思い出
昨年の12月、雪の翌日でしたが近くに来たので寄ったことがあります。勿論、中には入れませんので鉄柵の間や木々の隙間から写真を撮りました。
飛び込み台は所々塗装が剥がれ落ちて痛々しい感じです。”しょんべんプール” も寂しそうでした。
入り口近くの案内図には ”プール” が、まだ、しっかりと存在していました。
下の写真は、入り口付近の時系列の写真です。
歳を取ると感傷的になってしまいますね。
また一つ、思い出が消えて行きます。
消えた飛び込み台(平成30年12月10日 追記)
本日(平成30年12月10日)通りかかったら、一週間前には聳えていた飛び込み台が消えていました。一週間前と同じ位置の写真を投稿します。
「思い出が消えて行きます。」が、現在進行形から過去形になっていました。