通学・通勤は兼六園を通って
兼六園は近道
高校生まで過ごした金沢市ですが、当時は兼六園に特別な思いはありませんでした。
まだ入園料の無い時代でしたから、私にとっては単に市の中心部や金沢城(その当時は金沢城内に金沢大学がありました)方面への近道でした。
虹橋、雁行橋(亀甲橋)
今では撮影スポットとして混雑している徽軫灯籠前の虹橋や、観光客のハイヒールで磨り減り、渡ることができなくなった雁行橋、別名 亀甲橋も自由に渡っていましたから贅沢なものです。
雪吊りの取り外し
園内で雑草の駆除や清掃作業をされている方々の横を通ったり、季節によっては雪吊りの取り付けや、珍しい雪吊りの取り外し作業を見たりすることも出来ましたね。
雪吊りの取り付け作業は見たことがあっても、取り外し作業を見た観光客は少ないと思います。見ることが出来るのは地元民の特権ですね。
兼六園の四季
久し振りに帰ってきた金沢では、兼六園の観光客の多さに驚かされました。近くにある金沢21世紀美術館の混雑ぶりといい勝負です。
改めて散策すると確かに名園ですね。春夏秋冬それぞれの表情があります。
ただ、冬の雪と雪吊り、春の桜、初夏のカキツバタなどと比較して、私には秋の兼六園の記憶はほとんどありません。
雪の兼六園
兼六園の桜
初夏の兼六園(杜若)
私の記憶の中では、秋の紅葉は微かです。兼六園の名木に松などの常緑樹が多いせいでしょう。
秋の記憶で鮮明に残っているのは、11月から始まる冬仕度 雪吊りです。晩秋の風物詩として、テレビの全国放送でも度々取り上げられています。これも記憶に残っている一因だと思います。
兼六園の紅葉
今回、連れと二人で、紅葉に主眼を置いた兼六園散策を行いました。
瓢池の紅葉
金沢21世紀美術館側の真弓坂口から入園し瓢池へ。やはり常緑樹が多く、紅葉は一角に僅かばかりですが、周囲を取り囲む緑の中で目を引きます。
徽軫灯籠付近の紅葉
霞ヶ池の近辺も、常緑樹の緑の中の紅一点ですね。
歩を進めると日本武尊像が見えてきました。ここも手向けの松などの常緑樹が目立っています。
さらに緩い傾斜を小立野方向へ歩き続けると、目の前が紅く染まってきました。
山崎山
山崎山です。紅葉山という別名を初めて知りました。
小高い山崎山が真っ赤です。地面には茶色の枯れ葉ではなく、変色前の新鮮な落葉が真っ赤な絨毯のように敷き詰められています。外国人観光客も多く、高そうなカメラで夢中になってシャッターを切ったり、自撮り棒を使って写したりしています。
知らぬは金沢で生まれ育った私だけのようです。
兼六園に、こんなに紅葉の多い場所があったとは。 勿論、面積が違いますから、日光や高尾山のように山一面が燃えるような紅葉とは違いますが…。
観光客が兼六園に入園する金沢21世紀美術館方面の真弓坂口や、金沢城・石川門方面の桂坂口からは最も遠い場所ですが機会があればどうぞ。
小堀遠州 と山崎山
山崎山の築山と石垣、および山崎山のふもとから卯辰山を望む風景は小堀遠州(小堀政一)の指図と言われています。
茶人、そして作庭家としても名高い大名 小堀遠州は、加賀藩 前田家と繋がりが深かったようです。
金沢の旧市街を歩くと、門被りや見越しなどの、松の庭木が目立ちます。
松は手入れの難しい、手間暇のかかる庭木です。雪吊りもその一つです。
そんな手入れの難しい松を主体に作庭された兼六園。緑の濃淡を楽しむ、墨絵に通ずるような庭です。その中に一面真っ赤な山崎山(紅葉山)。とても目立ちます。
植栽も小堀遠州の指図? 茶人である小堀遠州にしては、いささか派手過ぎの感が。
山崎山の秘密
いろいろ確認すると、十三代前田齊泰が母 隆子(眞龍院)のために巽御殿(現在の成巽閣)を整備します。もう幕末の頃です。
煌びやかな公家の文化に慣れ親しんだ眞龍院は、武家の侘び・寂びを代表するような兼六園では寂しかったと思います。
そこで、前田齊泰が山崎山にカエデ、トチノキなどの植栽を施したようです。
兼六園全体を覆う常緑樹の緑。その一角に山崎山(紅葉山)。兼六園全体として捉えれば山崎山が紅一点ですが。
そういった思いを馳せながら散策するのも如何でしょうか。
兼六園は、今後も機会がある度に訪れたいと思います。