- パパと呼ばないで
- 50年前の日本(前々回からの続きです)
パパと呼ばないで
半世紀前のテレビドラマで、50年前の日本をあれこれ思い出しています
1972年(昭和47年)10月から翌年9月まで40回に渡って放送されたTVドラマ「パパと呼ばないで」で、50年前をいろいろ思い出している老人のブログです(笑)
前回は金沢ネタだけで終わりました。
今回はドラマから思い出す50年前の日本の続きに戻ります。
50年前の日本(前々回からの続きです)
50年前の日本➈
事務室内での喫煙
安武右京(石立鉄男さん)は上司に髪型を注意されますが上司はタバコを咥えたまま。


席に戻った安武右京(石立鉄男さん)はすぐにタバコをスパスパ。

事務室内の自席に灰皿があり、吸殻が満杯になったら女子社員が捨てます。
喫煙に加えて女子社員のお茶出しや吸殻捨てが当たり前でした。
現在では考えられませんね。
エレベーター前での喫煙
会社のエレベーターを待っている僅かな時間にもスパスパ。

エレベーター前にも縦型の大きな灰皿が設置されていましたね。
今では喫煙所に追いやられているような灰皿が。

家庭での喫煙
幼児がいようがいまいが居間でスパスパ。

駅のホーム、列車、バスでも喫煙
駅のホームにも灰皿が設置されていました。
ラッシュアワーの時間帯は禁煙だったと記憶しています。
中長距離の列車や観光バスには灰皿がありました。
吸わない人には密室の恐怖。

昔は列車の窓の開閉が可能でした。
窓を全開にして ”あー、煙たい” と言うご婦人を目撃したことがあります。猛者です。
タバコは国の重要な収入源だった
戦後の復興期の日本では、専売公社が販売するタバコは重要な国の収入の一つでした。
国営企業が販売しているタバコですから大っぴらに喫煙できた訳です(笑)
男性の喫煙率が80%ほど、女性の喫煙率も20%に近かった1972年。
世界でも上位の喫煙率でした。
スモーキン’ ブギ ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
喫煙者と非喫煙者の比率が1972年とはほぼ逆になった最近とは違い、日本全国「スモーキン’ ブギ」状態でした。1974年の曲です。
”目覚めの一プク 食後の一プク 授業をサボって喫茶店で一プク 風呂入って一プク ………” 作詞:新井武士、唄:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
プカプカ 西岡恭三さん
西岡恭三さんの「プカプカ(赤い屋根の女の子に)」は1972年です。
”おれのあん娘はタバコが好きで いつも プカ プカ プカ……” 作詞、唄:西岡恭三
次の歌詞も続きますので少しはほっと。
”体に悪いからやめなって言っても いつも プカ プカ プカ……” 作詞、唄:西岡恭三
嫌煙から禁煙へ
ここ半世紀の禁煙への流れ
「プカプカ(赤い屋根の女の子に)」の歌詞にあるように、体に悪いからという風潮になったのはいつ頃からだったでしょう。
1970年代の後半から嫌煙運動が始まり、1980年に国鉄車両での禁煙化を求める嫌煙権訴訟が起こったとのこと。この判決により禁煙車が増加しました。
意外にも、タバコの箱の「健康のため吸いすぎに注意しましょう」は1972年から表示されていたようです。
三公社五現業(知らない人が多くなっているでしょうね)の民営化(NTT、JT、JR
など)が本格化した1980年代半ばが嫌煙から禁煙への分岐点でしょうね。
そして2000年代に入り法律が整備され、受動喫煙防止が努力義務から義務化へと。

実は、過去にも喫煙の健康問題が
江戸時代には貝原益軒が有名な「養生訓」で煙草の有害性を指摘しています。
明治時代に未成年者喫煙防止法が制定されたとのこと。
タバコ屋さんの閉店やタバコ自販機の制限
昔はこんなタバコ屋さんでおばあさんが店番していましたね。

金沢の繁華街にも沢山の自販機を備えた大きなタバコ屋さんがありましたが閉店。
自販機も深夜販売が停止され、後に成人識別機能が備わった自販機となりました。

タバコが吸える禁煙室
金沢には、喫煙ができる禁煙室という喫茶店がありましたが閉店しました。

近未来を描いたSF映画での喫煙
喫煙、禁煙については、SF映画をネタにブログにしたことがあります。
それぞれ、1979年、1982年の映画ですからここまで禁煙が進むとは想像していないころの映画です。
エイリアン
ブレードランナー
50年前の日本⑩
麻雀

このシーンでも安武右京(石立鉄男さん)がタバコを吸っています。
が、このシーンは別のこと、50年前の麻雀事情のために取り上げました。
(麻)雀荘代わりとなった家では奥さんが大変。

因みに左の旦那さんは江守徹さんです。
タバコの煙に囲まれて徹夜も辞さない。酒やビールを飲みながら…。
今思えば極めて不健康な遊びでした。

コタツの天板を裏返せば緑色のフェルトを貼った(麻)雀卓の出来上がりです。
家庭でも簡単に遊べました。上の(麻)雀牌もわが家のです。
(麻)と、麻を()書きにしたのは、略して ”ジャンソウ” ”ジャンタク” ”ジャンパイ” と呼んでいたからです。
社会人には必須でした
社会に出た頃は、麻雀、そしてゴルフが必須とされていた時代でした。
戸惑ったのはルールです。
学生時代は ”ありあり” が主流だったのに、会社に入ると年配層を中心に ”完先(完全先付け)” が主流でした。大学に割と近かった最初のアパートは同級生の麻雀部屋になって引っ越しを余儀なくされたほどのHansです。そして "月刊 近代麻雀" を愛読していたHansです。
が、”完先” には手古摺りました。
今の若い人は麻雀をやらないそうですから麻雀の話題はここらで。
50年前の日本⑪
ミニスカート
ドラマでは、会社、そして幼稚園の先生まで。ミニスカートが多いですね。




ツイッギー
1967年のツイッギー来日後、日本はミニスカートブームでした。
テレビで見たツイッギーは ”ガリガリ” との印象です。
1967年
ツイッギーが来日した1967年もブログにしたことがあります。
美空ひばりさんのミニスカート姿
当時30歳の美空ひばりさんのミニスカート姿は衝撃でした。
1973年のオイルショック頃を境にミニスカートは下火になりますが、現在と同じ中東での紛争がオイルショックの原因でした。
50年前の日本⑫
ランニングシャツ姿

魚屋さんの店先に、ランニングシャツ(当時の名称です。今の名前は知りません)をズボンにウエストインした長身の男性がいます。
当時のHansの感覚ではランニングシャツは下着なので、前々回に登場したステテコ姿と同じく、この姿で外出はしませんでした。
50年前の日本⑬
買い物籠

同じく魚屋さんの店頭。中央のエプロン姿の女性が買い物籠を持っています。
当時は当たり前の光景で、エコな時代でした。
豆腐は鍋持参で
当時は豆腐屋さんのラッパが聞こえると鍋持参で買い物です。こんな音です。
白山市白峰の山下ミツ商店さんの移動販売車が同じラッパの音で巡回しています。美味しいし、ありがたい。

50年前の日本⑭
吉田拓郎さん


おでん屋さんでは、
”浴衣のきみは尾花の簪”(出典:「旅の宿」 作詞:岡本おさみ、唄:吉田拓郎)
が流れています。
吉田拓郎さんの「旅の宿」。ドラマ開始3ヵ月前の1972年7月発売です。
あ~、これも半世紀以上前か。
このころは、吉田拓郎さんや井上陽水さんのレコードをよく聴いていましたし、思い出も沢山あります。
井上陽水さん
「傘がない」も1972年ですね。
ドラマの第一話と二話でこれだけ思い出しました。
当時の音楽については、まだまだありますが…。
自分が年を重ねたのを改めて認識して、このシリーズは終了です。