金沢観光
秋の旅行シーズンですね。
観光客のイメージする金沢市の建物は、
城下町の象徴としての金沢城や、
武家屋敷、
そして茶屋街の建物ではないでしょうか。
幸いにも戦災や大きな災害のなかった金沢には、江戸時代だけでなく、明治、大正、昭和の建物が残っています。勿論、平成、令和の建物も、です。
軍都 金沢
日本海を挟んで清、露と対峙
明治時代、日清戦争、日露戦争が示すように、日本は日本海を挟んで中国(清)・ロシアと対峙していました。
ん? 昨今も似たような話が………。
逆さ地図
富山県発行の南北を逆転させた地図「環日本海諸国図」(通称:逆さ地図)が評判となっていました。ご存知の方も多いのではないでしょうか。
逆さ地図の販売は1995年12月に始まったそうですが、今でもコンスタントに売れているようです。
この地図を見れば、日本海側の金沢が要衝だったことをお分かりいただけると思います。
軍事拠点
その結果として、旧陸軍の第九師団や歩兵第七連隊が置かれた日本海側の金沢は間違いなく “軍都” でした。
今回は城下町 金沢とは趣を異にした、旧陸軍省に関係した金沢の建物を巡りたいと思います。
金沢城内
城下町としての金沢の象徴である金沢城。
ブラタモリでも「石垣の博物館」と紹介された江戸時代の城です。
煉瓦造りのトンネル
例えば、保管庫として使われていた煉瓦造りのトンネルがあります。
桐木憲一さん原作の「金沢シャッターガール」で知りました。
この「金沢シャッターガールで巡る金沢」の内容の一部に、今回加筆、編集してこのブログを書いています。
因みに金沢を舞台にした桐木憲一さんの原作には、金沢の人間でも知らないようなことも書かれています。
勿論、定番の観光スポットも紹介されていますので、コミックですが金沢の観光ガイドブックとしての利用も可能…かも。
旧陸軍省の管轄
今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)
金沢城内に、師団司令部や旅団司令部の地図記号が描かれています。
下記の地図記号を参考に探してください。
旧陸軍省が管轄している間に、軍施設の建設や火事で、藩政時代から金沢城に存在していたものが かなり失われてしまいました。
今となれば勿体ない話です。が、それは置いといて。
第六旅団司令部
城内に第六旅団司令部の建物(明治31年、1898年竣工)が残っています。旧陸軍の典型的な建物です。
建物の前には藩政時代の門(切手門)が現存。
二の丸への出入りに切手(通行手形)が必要だったため、切手門と呼ばれていた門です。
門番が切手を検めている姿を想像してください。社員証で入退室を管理している、現代の出勤風景と重なりますね。
鶴丸倉庫
同じく金沢城内の土蔵。藩政時代、嘉永元年(1848年)に建築された鶴丸倉庫は、国指定の重要文化財です。
この倉庫も旧陸軍の被服庫として使われていました。
金沢城外
赤レンガミュージアム
兼六園の近く、いしかわ赤レンガミュージアムとして利用されている三棟の煉瓦造りの建物は、旧金澤陸軍兵器支廠の建物でした。
明治42年(1909年)、大正2年(1913年)、大正3年(1914年)の竣工です。
兵器・弾薬などの補給を管轄する部門の兵器庫でした。
第九師団司令部庁舎と金沢偕行社
旧陸軍の第九師団司令部庁舎と将校クラブの金沢偕行社(両方とも明治31年、1898年竣工)の建物は、赤レンガミュージアム横の国立工芸館として移築・利用されています。
第九師団長官舎
旧第九師団長の官舎(大正11年、1922年建築)は、石川県立美術館広坂別館 石川県文化財保存修復工房として利用されています。
かつては “軍都” 金沢の象徴であった旧陸軍省の建物たちは、現在では美術館・博物館として再利用され、金沢の平和な町並みに溶け込んでいます。
城下町の建物巡りの合間に探してみるのも面白いですよ。
次回へ・・・。