金沢シャッターガールのPart 4です
金沢が舞台の「金沢シャッターガール」。
桐木憲一さんの原作で金沢巡りをしていますが、今回はPart 4です。
金沢を舞台にした桐木憲一さんの原作には、金沢の人間でも知らないようなことも書かれています。
勿論、定番の観光スポットも紹介されていますので、コミックですが金沢の観光ガイドブックとしての利用も可能…かな。
原作と映画ではストーリーも登場する場所も違います。それを前提にご覧ください。
Part 1からPart 3は下記リンクです。
最初に第2話と第3話のエピソード写真を追加します
第2話の焼きいなり
ユーリが美味しそうに食べていた焼きいなり。紺屋坂のこのお店です。
第3話の加賀毛針
加賀毛針は、石川県伝統産業工芸館にも展示されている伝統工芸です。
加賀藩では、鮎釣りは武士の隠れた武道の鍛錬として始められ、鮎と人間の知恵比べを楽しむことが第一義だったとのこと。そのため、針には返しがなく、友釣りは武士道に反するとして近年まで疎まれていたそうです。サムライです。
目細八郎兵衛商店
天正三年(1575年)創業の目細八郎兵衛商店が有名です。
元々は縫い針のお店ですが、明治に入って鮎釣りが庶民に解禁されてから毛針も作り始めたとのこと。
店舗近くの電柱の写真です。「目細通り」です。流石、450年近い老舗です。
Column 5 茶屋街(ちゃやがい)
芸妓さんのお稽古
金沢には「ひがし」「にし」「主計町」の三つの茶屋街があります。
茶屋街では、運が良ければ芸妓さんのお稽古の音が洩れ聞こえることがあります。
私は 主計町と にし茶屋街の検番近くで聞いたことがあります。ラッキーでした。
慌てて撮影しましたので、かなり手振れしていますが短い映像が残っていました。
江戸時代の茶屋街
今では若い女性にも大人気の茶屋街ですが、その歴史を少し。
加賀藩は、風紀上、出合茶屋や待合茶屋などの色茶屋(江戸の吉原のようなものかな)や遊女を取り締まっていました。
時には遊女だけでなく、関係する町人や武士までも厳しく罰していました。
1820年、風俗営業の一括管理を目的として、城下に点在していた茶屋を “ひがし” と “にし” にまとめて加賀藩公認としています。
しかし、僅か11年後には風紀が乱れるなどの理由から茶屋を一旦廃止しています。
その際、遊廓をイメージさせる「茶屋」という町名まで変更しています。
現在では茶屋街という響きは料亭街というイメージがありますが、昔は「茶屋」=「出合茶屋や待合茶屋などの色茶屋」=「遊郭」を連想させたようです。
しかしながら、1867年には再度茶屋街を認定しています。まさに、イタチごっこだったのでしょう。
明治に入ると浅野川沿いに主計町茶屋街も設けられ、三茶屋街となります。
戦後の茶屋街
戦後になっても東廓や西廓、主計町廓など、「廓」という名称が使われていました。
映画「恋する女たち」のブログで、
“建物に「石川縣旅館協会東廓支部案内センター」の看板が懸かっています。ひがし茶屋街ですから名前のとおりですが「東廓」支部。今では若い女の子が写真を撮りまくっていますが、「廓」の意味と歴史を知っているのかな?(映画で巡る金沢 恋する女たち Part2より)”
と書いたことがあります。下のシーンの看板(石川縣旅館協会東廓支部案内センター)です。
1986年の映画です。この頃は電柱も地上にありますし、銭湯もひがし茶屋街の ど真ん中にあります。まだまだ生活感の漂う街でした。
1970年代後半には料亭街としての紹介が多くなっていますが、本格的に観光地化したのは、ここ20年から30年のことでしょうか。
「ひがし」「にし」の茶屋街=料亭街としてのイメージを情宣・定着させ、現在に至っているようです。
茶屋街には国指定重要文化財「志摩」など、情緒のある建物が残っています。
第10話 金沢芸妓
ユーリが講師です
夏目花奈の通う高校の写真部へ、ユーリを講師として招いています。
「写真も出会いも偶然の産物だと思っています」とユーリ。
確かに偶然出会ったシャッターチャンス。それが自分で感心するような写真のことがあります。私の場合、あくまで感心しているのは自分だけですが。
次に人物を撮影するときにユーリが気を付けていること四つ。
カメラ、写真音痴の私には勉強になります。
実地の撮影に出発
いよいよ実地の撮影に出発です。
夏目花奈の通う高校の校門、この写真ですね。金沢泉丘高等学校です。
スイーツ・パン
話が飛びます。
この高校前の通り(金沢鶴来線)や近辺には美味しいケーキ屋さんやパン屋さんが点在しています。実際、高校近くのパン屋さんにはよく来ます。
最近では高校の目の前のパン屋さんより、もう一軒のパン屋さんの食パンを買いに来る回数が増えています。全粒粉のしっかりした食感の山型食パンです。
流行りの高級生食パン。私は貧乏性なので高級と言う単語が苦手です(笑)
サクサク、パリっとした食感のトーストが好きなので、柔らかすぎる高級生食パンは苦手です。柔らかいので、女性やお子さん、年配の方には人気でしょうね。
まぁ、食べ物には百人百様の舌があり、好みがあります。
あくまで私の好き嫌いです。あしからず。
金澤第一中学校 名残のモミの樹と赤松
話が飛んだついでに、この高校に関した話を一つ。
金沢の中心部、本多通りを金沢中警察署から金沢21世紀美術館方向へ走っていると、金沢歌劇座を過ぎた辺りで2車線が1車線になる箇所があります。
大きな木々が残っているため、そこだけ道路が狭くなっています。
木々の裏側に由来を記した立札がありました。
この立札によると、旧制金沢第一中学校(現在の金沢泉丘高等学校)は、明治30年に加賀藩本多家中屋敷跡地のこの場所に新築移転します。
このモミの樹と赤松は当時の校門近くにあり、学生たちを見つめ続けたとのこと。
当時の地図に現在の建物の場所を記しました。ご参考まで。
その後(昭和12年)、現在の金沢泉丘高校がある場所に再度移転しましたが、この木々は旧制金沢一中の歴史を伝えています。
道路拡張時に周辺住民や一泉同窓生の強い要望があったため残されたとのことです。
自動車の通行に不便だと言う方もいますが、自動車の都合のみを優先するご時勢にあって、歴史を優先した金沢市民の心意気に私は座布団一枚です。
今では進学校として有名な金沢泉丘高校ですが、旧制金沢一中時代を含めて夏の甲子園に四回出場しているようです。正に文武両道ですね。
金澤第二中学校
地図では第二中学校も確認できます。
現在は金沢くらしの博物館となっている建物(旧石川県第二中学校本館)は国の重要文化財の指定を受けています。
金沢は、軍都、そして学都でした
他にも県立工校や師範学校や第四高等学校など、当時の金沢市中心部は文教地区だったようです。
県立工校(石川県立工業高校)は映画のロケに何度も使用されています。
以下、石川県立工業高校がロケ地となった映画のブログです。
金沢芸妓
話を戻します。
金沢の芸妓さんは自立して暮らしているため、お稽古事や着物にかかる費用は自分持ちだそうです。
置屋に所属している京都の芸者さんとの一番の違いでしょうか。
金沢の芸妓さんについては下記HPをどうぞ。
第11話 願掛け寺 香林寺
香林寺
寺町寺院群
藩政時代、金沢城の防備などのため城下に散在していた寺社を3か所に移転、配置しました。それが「小立野寺院群」「卯辰山山麓寺院群」「寺町寺院群」の三寺院群です。
香林寺は「寺町寺院群」に属します。
www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp
「寺町寺院群」では、なんといっても忍者寺こと妙立寺が有名です。
他のお寺を訪れる観光客は少ないですね。
由緒書きを読みながら散策すると意外な発見もあるんですが。
個々のお寺についてはまた別の機会に。
今回はここまでです。